2024.05.10 12:00
孝情を育む 22
『ムーンワールド』で連載された、蝶野知徳・家庭教育部長による子育てに関するエッセーを毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
孝情を育む子女教育について、どんな姿勢で向き合えばいいのかを分かりやすく解説しています。
家庭教育部長 蝶野知徳
子女が感動すること
父は母に侍り、母は父に侍る
子女は父母から直接愛されると感動します。これは大切なことですが、もっと感動が大きいのは、「父母がお互いに侍り合う姿」を見ながら育つことです。
神様から与えていただいた相対を、神聖な存在としてお互いに価値視し、貴重に思って接し、侍り合うという関係が本来の夫婦の在り方です。ある一方だけが主体的で意見が強く、常に配偶者がそれに合わせて保っているような関係は、たとえ、けんかのない夫婦だとしても、それを見ている子女に感動はありません。父は母に侍り、母は父に侍る、双方向の豊かな愛の関係、これに子女はとても感動します。
祝福子女のアイデンティティー
夫は妻に敬意と愛を持って対し、妻も夫に敬意と愛を持って対し、いたわり合い、愛し合い、侍り合う夫婦を見るとき、子女にとってこれ以上うれしく、誇らしいことはありません。
祝福子女のアイデンティティーは、創造、堕落、復帰について学んでこそ教えられるものもあります。ですが、自身が神様の歴史的な悲願の中で生まれてきたという愛の背景を学ぶとき、同様の体験が生活圏の中にあり、本人の心の中で、これらが重なってこなければ実感することは難しいのです。
子女の心は、両親の双方向の愛を見るとき、両者が神聖な存在として映るだけでなく、そこには中心があるということを霊的に感じています。侍り合うことのできる夫婦には、必ずそこに夫婦が価値視する中心があるということを自然に学びとるのです。それが神様です。子女は、神様の愛が、この夫婦の尊い愛を通して私を誕生させたという感じ方をするようになります。
一般の価値観ではつくることのできない、両親の侍り合う関係性の美しさに本性が刺激を受けていれば、自分もこのような夫婦になりたいと思い、意義的、価値的にではなく、自然と心が祝福を望むようになります。
「私は愛でできていた」という感動
平易な表現に変えると、
「お父さんは神様ゆえにお母さんを大切に思い侍っている、お母さんも神様ゆえにお父さんをいつも大切に思い侍っている」
この夫婦の実体に触れて、そこから生まれた自分を否定したい子女はいないのです。むしろ、この愛による自分を肯定したいのです。そこには、「私は愛でできていた」という感動があるからです。
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次回は、「思いを解いて接する」をお届けします。