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長沼妙佼

(光言社『中和新聞』vol.509[1999年4月1日号]「日本17宗教人の横顔」より)

 『中和新聞』で連載した「日本17宗教人の横顔」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 日本の代表的な宗教指導者たちのプロフィル、教義の内容、現代に及ぼす影響などについて分かりやすく解説します。

庭野敬師と共に立正佼成会開く
命がけの布教と荒行で「慈母」として慕われる

 庭野日敬(にわの・にっきょう)氏とともに立正佼成会を開いた長沼妙佼(ながぬま・みょうこう/本名・マサ)は、明治221225日、埼玉県北埼玉郡志多見(しだみ)村の旧家、長沼浅次郎の六女として生まれました。田畑八反歩を自作するかたわら大工職を営む貧しい家でしたが、祖先は武蔵国忍城(おもじょう)の城主成田下総守の譜代侍として120石を食(は)む由緒ある家柄でした。

▲長沼妙佼(ウィキペディアより)

 マサが6歳の時母親が亡くなり、伯父の家に引き取られました。朝から晩まで働き、世間から「しっかり者」と言われる少女に育っていきました。優しくハキハキした性格で小さな子の面倒を見たり、時間さえあれば、独りで母親のお墓参りに行き、長い間拝んでいたそうです。16歳の時に、ずっと年上の姉に養女として引き取られましたが、やがて上京。お菓子屋に女中として住み込み懸命に働くうちに、世話する人があり、25歳で結婚しましたが、この夫は大変な道楽者。11年後に離婚しましたが、3歳まで育った愛児が突然、病気で亡くなるという悲運に見舞われます。

 苦労の絶えない半生が続きますが、気丈なマサは苦難にもめげず身を粉にして働きました。その姿に感動した人の紹介で、昭和4年、41歳の時、中野の氷問屋に勤めていた大沢国平氏と再婚。夏は氷屋、冬は焼き芋屋の商売はどんどん繁盛していきました。不幸な人生も終わったかのように思われましたが、生来、病弱な身体に長年の無理がたたったのか、間もなく胃や心臓を悪くし、重ねて乳がんにも侵されます。手術の結果は思わしくなく、ついには「もうあまり長くない」と宣告されるまでに至ってしまいます。

 そうしたある日、出入りの若い牛乳屋の主人が、寝ているマサのもとに来て、先祖供養のことなどを話しかけてきたのです。この人こそが、霊友会の熱心な信者として精進を続けていた庭野鹿蔵(後の日敬)だったのです。昭和11年、鹿蔵31歳、マサ48歳の時のことで、この出会いはマサに人生の大転換をもたらすことになります。

▲庭野日敬(ウィキペディアより)

 法華経の道に入って現証を得たマサは見違えるように元気になりました。マサの魂の中に眠っていた信仰心は、鹿蔵の適切で情熱的な指導を得て敢然と目を覚ましました。打って変わったような熱心な信徒となったマサは、鹿蔵に同行して昼夜を分かたず布教活動に励むようになり、一日に50人近くも新会員を導くこともありました。純粋でひたむきな二人の働きで会員の数は日に日に増大しましたが、やがて、霊友会内部における指導のあり方から、同会を脱会し、新たに立正佼成会を創立します。

 昭和1335日、中野富士見町の鹿蔵の自宅の2階で、ささやかな発会式が営まれました。マサから「妙佼」へ、鹿蔵から「日敬」へと名前も改め、「正法を立てて正しき人々と交わり仏身を成ずる会」という名前そのままに、一段と熱心な布教活動が展開されました。

 妙佼は「慈悲の人」と表現されるように、会員をわが子のように慈しみ、信者の幸せのために、寒中に失神するまで水行をとるという荒行も行いました。また「神が降りる」現象もしばしば起き、神仏の声を発することも。導きや布教の際は常に庭野会長と一体となり、その証明役を務め、厳愛の二法をわきまえた適切な指導は教勢の発展に欠かせないものでした。

 戦中、戦後の食糧難の時代には、農園が作られ、会長が率先して鍬(くわ)を握ると、妙佼はかいがいしく奉仕をして野菜などの作物を会員に配り、戦後の安定期には老人や母子家庭などの諸施設を慰問、災害地の救援活動の先頭に立ちました。生まれつき病弱な身体でしたが「ご法のためには身をかばっていられない」と、請われれば遠方まで出かけていきました。

 百数万の信者から生き仏のようにあがめられながら、生活は常に質素で、いつも「下がる心」を忘れず、自己批判を怠らなかったところに、妙佼の偉大さがあります。多くの会員、信者から慈母のように慕われてきた妙佼でしたが、昭和32122日、甲府方面への布教中、病に倒れ、同年910日、「一切のことは、全部お願いします」という言葉を残して、脳血栓で亡くなりました。ときに67歳、み魂は東京都東大和市の佼成霊園に眠っています。

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 「日本17宗教人の横顔」は今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。