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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。
 誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。

14話「何のために生きるのだろう?」

 14歳の夏休み、巡礼の旅はナオミを心身共に鍛えた。祖母シホを通して、母カオリとの「思い出」が再生され、大分の祖父母との愛情の絆が紡がれた。

 その後ナオミは母の存在を強く感じるようになる。それはあたかも物語の主人公への憧れが再燃するかのようだった。

 ナオミは中学3年生になった。受験生である。ナオミにとって人生で初めて体験する受験生活だった。

 ナオミは難関校にも合格できる十分な成績を収めていた。
 ナオミは好奇心も強く、集中力も高かった。語学のセンスもあった。それらは私の遺伝子というより、母親譲りのものだろう。

 進路選択…。
 進学先は、偏差値や進学実績、校風で選ぶことになるのだろうか。子供の進路には親の欲目も影響するものだが、私はナオミの意志を尊重したかった。

 成長の節目には、必ずといっていいほど恩恵と試練が交差するものだ。

 ナオミの成績が停滞し始めたのは中23学期の頃からだった。中3の最初の中間試験の結果も芳しくなかった。

 「何のために勉強するのか…」

 ナオミは目的地を見失い、迷路に迷い込んでしまったのだ。悶々(もんもん)とする日々を過ごした。
 迷子になってしまったというよりも、勉強すること、すなわち生きることへの新しい意味を必要とする段階にナオミは立っているのかもしれない。

 ナオミは感情の起伏が激しい方ではなかったが、梅雨の季節に入る頃、言葉が少なくなった。同居している私の両親もナオミの様子を心配した。

 私の母タツコとカオリの母シホは、カオリの父シュウサクが亡くなって以来、互いによく声をかけるようになった。

 話題の中心はもっぱらナオミのことだった。二人は日頃から連絡を取り合い、孫娘の成長を支えようと知恵を絞った。

 「ナオミちゃん、大分のおじいちゃんが亡くなってもうすぐ一年になるでしょう? 大分のおばあちゃんに電話してみたらどうかしら? 大分のおばあちゃんもナオミちゃんの声が聞きたいんじゃない?」

 二人の祖母は、今のナオミには母親の存在が必要だと分かっていた。
 巡礼の旅を通してカオリの存在感が身近になったからこそ、カオリのことをもっと知りたいとナオミは望んでいた。

 母親に甘えてみたかった。進路のことも相談したかったし、助言も求めたかった。そして何より中3の頃のカオリのことを知りたかったのだ。

 タツコの勧めに応じるような格好となったが、ナオミはシホとゆっくり話せるいい機会だと喜んだ。

 「もしもしおばあちゃん? 元気? おばあちゃん、愛してる~」

 「愛してる…」。巡礼の旅がもたらした成長の証しだ。シホもまた、その言葉が聞けることを心から喜んだ。

 「…ところでね、おばあちゃん。ママの高校受験の頃のお話、聞かせてほしいんだけど、いい?」

 「もちろんよ。例えば、どんなことかしら?」

 「ママって進路問題で悩むことあったのかなあ? 進学する高校はどんなふうに決めたの?」

 カオリが同年代の頃、何を考え、何を悩み、何を目指して生きていたのかを、ナオミは知りたかった。

 「カオリはね。中学生の時、大学生になったら海外でボランティア活動をしたいと考えていたのよ。実はカオリが中2の時、教会でね、フィリピンの貧困の子供たちを支援している国際協力団体のかたのお話を聞く機会があったの」

 カオリの家族が通っていたカトリック教会では、年に一度、海外ボランティア隊の活動報告を聞く場が設けられていた。ボランティア隊はキリスト教系の団体で、メンバーには外国人も少なくなかった。

 その年はフィリピンでの活動の報告がなされた。
 ボランティア隊は、フィリピンの首都、マニラ市トンド地区の「スモーキーマウンテン(煙る山)」という貧困地域で、主に子供たちの教育支援活動に携わっていた。彼らもまた、カトリックの信仰を持つ人々であった。
 スモーキーマウンテンは、1980年代後半にはフィリピンの貧困の象徴として扱われるようになる。

 カオリがフィリピンの貧困事情に触れたのは1970年代後半のことだったが、スライドと共に伝えられた現地の子供たちの姿はカオリの心を揺さぶった。

 カオリの目から涙があふれた。なぜ涙が流れるのか、カオリにも分からなかった。胸に迫る強い衝動に導かれるように、心はフィリピンの子供たちに寄り添っていた。
 スモーキーマウンテンの子供たちもまた、カオリと同じ神を信じるカトリックの信者だったからかもしれない。

 トンド地区の子供たちがなぜ厳しい生活を強いられているのか、中2のカオリがその背景や理由をよく理解できたわけではなかった。貧困や格差という問題の実態も分からず、実感もなかった。ただただ悲しかった。涙が止まらなかった。

 「カオリはね、貧困で苦しむ子供たちのために何かしなければならないと思ったようなの。それはずっと後で私も知ったことなんだけどね。自分の知らない世界のどこかで苦しんでいる人たちがいるという事実や、自分よりももっと小さな子が学校にも通えず、同じ年頃の少年少女たちがごみ捨て場に通いながら毎日廃品回収をしている姿が、ずっとカオリの心の中に残っていると言っていたわ」

 当時はインターネットもスマホもない。国際的な情報を、地方の小さな町に暮らす中学生が手軽に入手できる時代ではなかった。カオリは学校や町の図書館に通って世界の貧困事情や国際協力の現状について熱心に調べた。何かに取りつかれたように没頭した。

 「中3の時には、将来、青年海外協力隊に参加したいとカオリは言っていたわ。フィリピンのことも随分調べていたわ。英語を話せるようになりたいと言って、熱心に学んでいたわねえ。フィリピンの言葉のタガログ語にも関心を持っていたわ」

 実際カオリは、大学生の頃、NGO(非政府組織)団体が主催するスタディーツアーに参加してフィリピンでの国際協力活動を経験している。

 「だからね、ナオミちゃん。あなたのママは、どの高校や大学に行きたいというより、苦しんでいる人たちを助けたい、子供たちを学校に行かせたいという強い思いで、将来の進路を考えていたのよ」

 「…そうだったんだね。ママ、すごいね。私、知らなかった」

 (私は何のために生きるのだろう?)

 新しい年が明けた頃からナオミは自問自答していた。

 ナオミにも小さな信仰心は育まれていたし、ナオミなりに他者への貢献のために生きることの大切さは分かっているつもりだった。

 「ママみたいな生き方をしてみたい…」

 ナオミは静かに、しかし力強くつぶやいた。
 それは電話の向こうのシホにではなく、ナオミ自身に放たれた宣言であった。

 霧が晴れるように目の前が明るくなり、穏やかな心がナオミを包んでいた。
 カオリの胸に宿った熱い夢と志が、時を超えてナオミの心に同期した瞬間だった。

 シホは神に感謝し、聖句の一節をそらんじた。

 「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書 第311節)

 「ナオミちゃん、おばあちゃんに悩みを打ち明けてくれてありがとうね。柴野家の皆さんにも心から感謝したいわ」

 電話を終えたナオミは泣いていた。
 悲しみを喜びに変える人になりたい、そんな思いが絶え間なく心に湧いてくる。

 (これは私の思いなのか、ママの思いなのか。それとも、これが教会で学んできた神様の心情というものなのか…)

 「パパ、私もママのように生きてみたいな。苦しんでいる子供たちを助けたい、誰かのために役に立てる自分になりたいって心から思えたの」

 15歳になったナオミの姿を見つめながら、私は文鮮明(ムン・ソンミョン)先生の自叙伝の一節を思い起こしていた。

 「志を立てるということは、自分が生きていく人生の意味を決めることです」

 神はナオミを偉大な存在としてこの世に誕生させてくださったのだ。

 私の心にも神の声が届いてくる。

 「成長しなさい」

 「志を立てなさい」

 ナオミを見つめる温かなまなざしを、私は感じていた。


登場人物

●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母

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 次回もお楽しみに!

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