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脱会説得の宗教的背景 27
神はいかにして天地創造をなされたのか

教理研究院院長
太田 朝久

 YouTubeチャンネル「我々の視点」で公開中のシリーズ、「脱会説得の宗教的背景/世界平和を構築する『統一原理』~比較宗教の観点から~」のテキスト版を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。
 講師は、世界平和統一家庭連合教理研究院院長の太田朝久(ともひさ)氏です。動画版も併せてご活用ください。

「限定作用による創造」に関する哲学的な説明
 さて、ダビデ像の素材(原石)となった大理石が、いくら可能態(没個性的)であるとしても、よく調べてみると、大理石ならではの性質(個性)を持っています。

 大理石はある程度の硬さがあるので、彫刻や建築材には向いています。しかし道路の砂利には、軟らか過ぎて不向きです。またアルミ箔(はく)のように薄くして包装紙に用いることもできません。

 実は、自然界を見渡すと、岩石には、いろいろな種類があります。
 花崗(かこう)岩、石灰岩、石英、水晶、石炭、鉄鉱石など、違った“性質”を持つ多種多様の鉱物があります。

 ところが、それらの岩石を、素粒子のレベルで調べると、元素は同じものからできています。同じものの組み合わせにより、性質や種類の違った物質が出現しているのです。

 また元素には、H(水素)、O(酸素)、Fe(鉄)、Na(ナトリウム)、Ca(カルシウム)、P(リン)、C(炭素)などがあります。
 それらを「分子」のレベルで見ると、同じ材料(分子)の組み合わせ方の違いから、動物界・植物界・鉱物界などが出来上がっています。

 分子を構成する、より根源的なものに「原子」があります。
 原子は、原子核(陽子や中性子など)と電子の組み合わせからできています。違う種類のものが組み合わさることでできているのです。

 そこに陽子、中性子、電子という違った種類(=個性)のものがあるということは、既にその原子核や電子などは、究極の根源的な粒子ではないということを意味しています。

 原子を構成する、より根源的な「素粒子」ということになると、それは原子と比べて、より没個性的でなければなりません。つまり、より「無限の可能態」でなければならないということです。

 他の素粒子との間で“違い”(=個性)があるうちは、まだ究極の素粒子ではないことを意味しています。
 個性があるうちは、その存在はある「可能態」に限定作用が加わって存在していることを意味するため、究極の粒子ではあり得ないというのです。

 そのように考えると、個性を有する電子、陽子、中性子などを造り出す、そのもっと奥(=根源)に、共通の根源的な元素(共通の素材)があるということであり、それが原子に比べて、より没個性的な、レプトンとかクォークなどと呼ばれる素粒子なのです。

 しかしレプトンやクォークなども、ある個性を持っています。こう考えると、いろいろな個性を持つ多種多様の物質を造り出す“究極の元素”(未発見)が、そのもっと奥の根源に存在しているであろうことが推察されます。

 その究極の元素(根源)の存在、すなわち何にでもなり得る無限の可能態に限定作用を加えることで、それが幾つかの段階、すなわち素粒子→原子→分子という段階を経て、個性を持つさまざまな物質が現れているということなのです。

 原子や素粒子には個性があるため、まだ根源的なものではなく、そのもっと奥により根源的なもの、完全に没個性的な“あるもの”が存在しているということになります。
 その「基本的構成要素」(未発見)の、量的・構造的な組み合わせにより、個性を持った素粒子が出現していると考えられます。

 結局、天地創造前の「原初」にまでさかのぼれば、神の中に宇宙の全物質の根源となる素材(「無限応形性」=前エネルギー)があったという結論になります。

 これが、前回(第24回)述べた「カオスの原初の海=トーフー・ヴァー・ヴォーフー」としての神の「本形状」(前エネルギー)であり、神はその「本形状」を用いて天地創造をしていかれたということなのです。

(続く)

※動画版「脱会説得の宗教的背景 第7回『唯物論』と『唯心論』の和合統一〈その2〉」はこちらから