2024.01.19 22:00
【テキスト版】
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第171回 家庭連合(旧統一教会)の信者を12年5カ月間拉致監禁した実態はどうだったのですか?
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回は、「家庭連合(旧統一教会)の信者を12年5カ月間拉致監禁した実態はどうだったのですか?」という質問に対してお答えします。
12年5カ月間、拉致監禁された後藤徹氏の手記の一部を要約して紹介します。
私は31歳でした。
1995年9月のある日、東京の自宅に帰省した際、突然家族や見知らぬ人たちに取り囲まれ、無理やりワゴン車に押し込まれ、監禁用に準備された都内のマンション最上階の監禁部屋に連行されました。
玄関のドアには防犯のドアチェーンが掛けられ、そのチェーンをさらに南京錠で施錠していました。
そうすると、玄関から決して出ることができなくなります。
私はこれを何度も蹴り飛ばして破壊しようとしましたが、全く駄目でした。このような犯罪的な脱会説得の方法を両親だけで思いつくはずがありません。
この拉致監禁にはそれを教唆し、やり方を指導した別の人物がいるのです。それが、脱会説得の専門家たちです。
私の場合には、キリスト教牧師の松永堡智(やすとも)氏と、脱会カウンセラーと呼ばれるプロの脱会屋・宮村峻(たかし)氏です。
説得者の宮村氏は次のように言います。
「お前はマインドコントロールされている」
「自分の頭で考えられなくなっている」
「頭が正常に働くようになるまでここから出られないぞ」
そしてこちらが何か反論すると「ばか、アホ、悪魔」という罵声が飛んできます。
「態度がデカイ!」と言われては何度も平手打ちされます。
「人の話、聞いてんの!」と言われては、熱いお茶を顔面にかけられます。
「目を覚ませ!」と言われては、氷水を背中に流し込まれます。
インフルエンザにかかって40度近い熱が続いても、私は医者にかかることさえできませんでした。
閉ざされた脱出不能の部屋の中、毎日毎日、創始者・文鮮明師や家庭連合に対する耳を塞ぎたくなるようなひどい悪口を強制的に聞かされます。
自分の命よりも大切な信仰が破壊される恐怖も相まって、その時受ける精神的苦痛は、言語を絶したものになります。
苦しさのあまり、いっそのこと、死んでしまいたいとまで思ったこともありました。監禁中、私は何度も何度も脱出を試みました。
「助けてくれ、警察を呼べ、ここに監禁されてまーす!」と、喉が張り裂けるほど叫びながら玄関目がけて突進もしました。
そのような時は必ず複数の人間により、羽交い絞めにされて押し倒され、口を塞がれました。
その圧力で体中があざだらけになり、夜はその痛さで眠れなくなります。
着ていた服はボロボロに破れ、体の傷から血が滴り落ちました。監禁現場ではこのような暴力が日常的に行われるのです。
40歳になった時、私は監禁に抗議してハンガーストライキを3回決行しました。
3回目は無期限を決意しましたが身の危険を感じ、30日目に断食を終了することを宣言しました。
監禁から12年5カ月たった2008年2月、監禁することに疲れ果てた家族が、突然、「即刻、出て行け!」と命じてきました。
当時、私は体重が激減し体力も落ちていたため、家族によって体を持ち上げられ、着の身着のままの一文なしで、玄関から外に放り出されてしまいました。
ようやく自由の身となったものの、行く当てもなかったため、約10キロ離れた渋谷の家庭連合本部に助けを求めようと歩き始めました。
そこで助けを求めて道行く人に声をかけたところ、なんとその人が家庭連合の教会員だったのです。
その人に助けられて、なんとか生きて本部にたどり着くことができました。
私は、この出会いが神様の導きであったと確信しています。
私はもはや一人で立つこともできず、病院へ緊急入院しました。医師の診断によると、全身筋力低下、廃用性筋萎縮、栄養失調、貧血ということで、その後、約50日間の入院生活を余儀なくされました。
このような拉致監禁は犯罪です。
日本は憲法において、基本的人権と信教の自由が保障された法治国家です。
これ以上拉致監禁による強制棄教に怯えることなく、安心して日常生活ができる日が一刻も早く訪れるように切に願ってやみません。
今回は、拉致監禁の実体験の一部を紹介しました。詳しくは、「全国拉致監禁・強制改宗被害者の会」のホームページなどをご覧ください。