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神主義と頭翼思想 12
真の父母宣言
神主義はどのように結実したか

ナビゲーター:稲森一郎

 新しく連載がスタートする同シリーズのオリジナル記事は、1995年10月から1996年10月までの期間、『氏族教会FAX-NEWS』に連載されたものです。
 文鮮明(ムン・ソンミョン)・韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁夫妻が提唱し、推進してこられた「統一運動」と、その運動理念である神主義、頭翼思想。その価値を再認識、再発見する機会としていただくために、稲森一郎氏の執筆による「神主義と頭翼思想~その理論と実践」をBlessed Lifeに再掲します(一部、編集部が加筆修正しました)。ぜひご活用ください。

創造の原点は「真の愛」
 「神主義」の精神は、人間、万物を含めた全ての問題解決の最終のよりどころを「神」とする精神です。
 ではなぜ、神が全ての問題の最終解決者となるのか。神の何があらゆる問題の解決方策となるのか。これを解かなければなりません。

 神の創造は、愛を通して喜びを得んとする情的衝動、すなわち「心情」から出発したというのが創造の原点です。
 愛の投入によって喜びを実現するという神の心情の特性は、「真の愛」という言葉に置き換えてもよいでしょう。

 結局、神の真の愛が全ての問題を解決する最終的な鍵であるというわけです。
 創造の原点が真の愛にあったとするならば、あらゆる問題の解決も、同じその原点、すなわち真の愛に返らなければならないということになるのです。

現れなければならない完成人間
 神が創造された有形実体対象としての被造世界にいろいろと問題が生じた場合、それを収拾するのは結論的には神の真の愛ですが、現実的には、有形実体対象世界の中に問題収拾の中心点がなければなりません。それがすなわち、神の真の愛を体恤(たいじゅつ)した完成人間です。

 本来、アダムとエバが真の愛の完成実体としていれば、彼らは真の父母の位置に立って、被造世界を治める主管の中心位置に立つことができたはずです。
 目に見えない神が、目に見える神として実体顕現したという立場に立つのが、完成基準の人間の立場です。従って神の真の愛は、完成人間の中に現れる真の愛と一つになって、地上世界の問題を解決するということになってくるわけです。

地上世界の中心は「真の父母」
 このようにして、地上世界の中心は真の愛を勝利した真の父母であり、全ての問題を収拾する核心に真の父母が存在するということになります。

 神主義は真の愛主義であり、その真の愛は真の父母から来るのです。
 真の愛の基準は何か。それは神の絶対永遠の愛の基準です。具体的に言えば、敵をも愛し、怨讐(おんしゅう)をも愛するという愛の基準です。

 言葉は簡単ですが、現実にはなかなか打ち立てることのできない愛の基準です。もしも容易にできる基準であれば、人類の闘争歴史はこんなにも長く続くはずはなかったでしょう。

 真の父母は、神と同じ絶対基準の愛、すなわち怨讐までも愛するという基準の愛を実践し、勝利していかなければならないということですから、真の父母たる資格を宣言できるおかたがいるとすれば、そのおかたは愛し得ない怨讐までも愛し、許し得ない怨讐までも許すという道を行かれることでしょう。

文総裁夫妻は絶対的愛の勝利者
 1992年8月24日、文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁夫妻は、全世界に向かって、「真の父母宣言」をなさいました。このことが何を意味するか、今まで述べてきたことから理解できると思います。

 神主義の実践的勝利者は、神の真の愛、神の絶対的愛の勝利者でなければなりません。そのような愛を勝利した者が、「真の父母」と呼ばれる資格を持つのです。

 何の罪を犯したわけでもない、正しいことを正々堂々と述べて、正しいことを正々堂々と行ったためにこの世から憎まれ、6回も獄中につながれるという苦難の人生行路を歩まれたのが、文鮮明先生の人生でした。

 それにもかかわらず、獄に投げ入れた人を愛し許し、獄に投げ入れた国家を愛し許すという絶対愛の生き方を実践されたのです。
 これほどの強い真の愛の実体は、歴史の中心点であり、人類の中心点であらざるを得ません。

 今や神主義は、その名ばかりではなく、中心実体を持つに至ったのです。文鮮明総裁夫妻の「真の父母宣言」は、神主義の勝利宣言でもあるのです。