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小さな出会い 14

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「小さな出会い」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭の中で起こる、珠玉のような小さな出会いの数々。そのほのぼのとした温かさに心癒やされます。(一部、編集部が加筆・修正)

天野照枝・著

(光言社・刊『小さな出会い』〈198374日初版発行〉より)

一流ホテルで珈琲を

 その企画は、ちょっとしゃれたものでした。

 教会にとっては大切なある記念日を、どう祝おうかと役員たちが知恵をしぼったのだそうです。休日ではないので、皆の顔がそろうのは夕方になり、遠出やスポーツ大会などはできません。まあ、夕食ぐらいのところです。

 大衆食堂で丼物をかきこむ風情(ふぜい)では味気ないし、さりとてフルコースの予算まではないというわけですから、むずかしいところです。結論として、“食事はふつうのレストランで好きなものを。雰囲気だけ豪華に楽しんで一流ホテルでコーヒーを”ということにおちついたそうです。

 さっそく、あれこれと下見の労を取ってくださった方からコースの発表がありました。

 「まあ一流とまではいかないんですが、高輪(たかなわ)プリンスホテルは雰囲気が凝っとるんです。庭もいいし、じゅうたんなども模様のかたちに盛りあがっててね。皆さん一番いい服装をしていってくださいよ。緊張するくらい改まった雰囲気です」

 私は、末っ子の100日目の祝いが終わったばかりですから、お誘いがあった時も迷っていました。夫は、「子供は見るからたまには行っといでよ。気分転換のいいチャンスじゃないか」と言います。「うーん。どうしようか。コーヒーならどこでも飲めるからもったいないような気がして」

 迷ってばかりいて、やっと、「行ってくる!」と叫んだのは出発20分前のことでした。

 さあそれからが大変。お産ですっかり太めになった体に合う服を捜すのに大わらわです。やっとドレスが決まり、ベルト、イヤリングにネックレス、ハンドバッグに靴……と一つひとつ合わせて、支度が終わった時にはため息が出ました。

 ちょうど遅れて出発する4人の中に入れてもらい、楽しく出発しました。品川駅近くのレストランで、まずは素敵(すてき)な夕食です。

 「ねえ、このトマトをくりぬいてツナサラダをつめたの、こんど作ってみようよ」

 「この馬鈴薯(ばれいしょ)のおいしいこと!」

 「ハンバーグもいい味にできてるわ」

 などと堪能(たんのう)して、さて、いよいよプリンスホテルにむかいました。

 さわやかな夜風に、広々とした芝生、噴水が美しい高低を作って踊っています。

 一歩なかに踏み込めば、ふわりと足が沈むじゅうたん。きらめくシャンデリヤの下の喫茶室は、白いピアノから、華麗な調べが流れています。パリッとしたウエーターが丁重にワゴンを押してきて、目の前でサイフォンコーヒーをいれてくれます。

 馥郁(ふくいく)たるその香りに包まれ、ふと、親善や国際会議などで、数回、出席する機会のあったフルコースの食事の席を思い出しました。ナイフとフォークがずらりと並び、ウエーターもずらり。しかも左右はどこかの代表の方ときいては、ものの味もあらばこそ。自由に雰囲気にとけこめるよう、マナーは身につけたいなあと思ったものです。

 「女性は家庭にはいればエプロン姿で生ゴミの掃除までして、職場に行く時や外出する時は宝石をつけてキャデラックに乗れなくては。それがどちらも板につかなければダメだ」

 これは誰の本のことばだったかしら。意識を切り換える練習をしなくちゃ——忘れられないコーヒーと共に味わった感想です。

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 次回は、「世界中で一人」をお届けします。