2023.12.29 22:00
【テキスト版】
ほぼ5分でわかる人生相談Q&A
幸せな人生の極意!
第169回 家庭連合(旧統一教会)の信者に対する拉致監禁が起こった背景を教えてください
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回は、「家庭連合(旧統一教会)の信者に対する拉致監禁が起こった背景を教えてください」という質問に対してお答えいたします。
家庭連合の信者に対して拉致監禁、強制改宗という深刻な人権侵害が行われ、1966年以来、4300人以上の信者が被害に遭っています。
1966年以降、現在までを四つの期間に区分して説明します。
第1期は1966年~1976年までです。
1966年に森山諭(さとし)牧師(キリスト教福音派)が「統一教会は異端」という動機を持って、強制改宗を始めました。
1967年、朝日新聞の夕刊に「親泣かせ原理運動」の記事が掲載され、不安をあおられた親族が森山牧師に相談して事件が増えました。
第2期は1976年~1987年までです。
この期間は森山諭牧師のほか、船田武雄牧師、高澤守牧師、和賀真也牧師、村上密(ひそか)牧師などの福音派牧師らが多数加わり、事件が増加しました。
1978年、国際勝共連合の活躍により、日本共産党が京都府知事選で敗北しました。
その後、共産党は大学教授、ジャーナリスト、弁護士、牧師、国会議員らと連携して「原理運動を憂慮する会」を発足し、反対運動が始まりました。
1978~1986年、棄教目的で、家庭連合信者を共産党系の精神病院に強制入院させる事件が多発しました。
第3期は1987年~1997年までです。
「スパイ防止法制定」の動きに危機感を募らせた左翼陣営が、家庭連合および勝共連合を壊滅に追い込むために「霊感商法」キャンペーンを開始しました(「朝日新聞」1987年2月14日付)。
報道で不安をあおられた親族が反対牧師に相談し、事件が増加しました。
1993年3月の山﨑浩子さんの失踪事件の頃は、年間300件を超える事件が発生しました。
この期間、元信者が反対牧師や弁護士らと結束し、家庭連合つぶしのために「青春を返せ裁判」「婚姻無効裁判」を展開しました。
第4期は1997年~現在までです。
強制棄教の暴挙をいさめる者が誰もいない中で、1997年、鳥取教会襲撃事件、路上での拉致事件、監禁された女性が自殺する事件など、悪質な事件が次々と発生しました。
これに対して、鳥取教会を襲撃され、1年3カ月の長期監禁被害を受けたT・Hさん、路上拉致の被害に遭ったI・Rさんらが牧師を相手に提訴し、これを機に事件件数が徐々に減少しました。
しかし、その後も事件は終息せず、起こり続けます。
そんな中で、2008年に後藤徹氏が12年5カ月もの長期監禁から逃れてきます。
後藤徹氏は民事裁判の訴えを起こし、勝訴します。
月刊『正論』2023年12月号に「私は12年5カ月拉致監禁されていた!」というタイトルで後藤徹氏の手記が8ページにわたり掲載されました。
手記の中の最後の締めくくりは、次のように表現されています。
「こうした人権侵害が横行し、教団を追及する『原告』『被害者』を量産し続けるシステムがあり、国民はそれを知らずにいる。ですがこれは旧統一教会による『被害』を訴える元信者がなぜ、これほど多く発生したのか、という意味で欠かせない要素です」(月刊『正論』2023年12月号60ページ)
このような悲惨な人権侵害は、決して看過できない深刻な事件です。