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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。
 誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。

第5話「火の玉が向かってきたの」

 「パパ、私はここにいるわよ」

 間違いなくそう聞こえた。妻の声だった。妻の温もりも感じた。確かに私は山で妻と出会ったのだ。

 私は山から下りた。
 その日以来、生活は一変した。

 登山からの帰宅後、小学4年生になる娘のナオミが最初に私の変化に気が付いた。

 「パパ、お帰り」

 「ただいま。やはり山は疲れるね」

 まずは軽く月並みな感想から。

 「そう? パパ、なんだかうれしそう。顔が明るいよ。いい登山ができたんだね。良かったね」

 ナオミは私の変化に気付いている。心の中の弾むような私の感情の動きをしっかりキャッチしているのだ。

 同居しているナオミの祖父母、つまり私の両親も、「山登り、疲れただろう。でも楽しかったようだな。なんだか若返ったんじゃないか?」「久しぶりに楽しい時間を過ごせてよかったわねえ」などと、私の山行結果報告をまだ聞いてもいないのに、娘も両親も野球の試合にでも勝って帰ってきた家族を祝福するような歓迎ぶりだ。

 山が嫌いな息子が突然山歩きを始めた。どんな心境の変化なのかと、最初はけげんな面持ちだった両親。男やもめの息子が前向きに元気で過ごしてくれるのならそれでいい、という気持からだったのかもしれない。

 ふと頭をよぎったのは「モーセ路程」。シナイ山の頂上で神と出会ったモーセが石板を持って下山した時のあのシーンだ。
 そしてシナイ山とモーセといえば、思い出すのは日本の家庭連合、旧統一教会の初代会長、久保木修己先生の大山での劇的な神体験である。

 「大山」の名称を持つ山は全国にいくつかあるが、この大山は、神奈川県の伊勢原市、秦野市、厚木市の境にある標高1,252mの日本三百名山である。丹沢表尾根の東端に位置する富士山のような山容を持った美しい三角形の山だ。
 大山は、江戸時代には庶民による「大山参り」で大いににぎわった。天狗(てんぐ)信仰が盛んで、山岳信仰の対象となった。今も人気の山で訪れる人は多い。

 久保木会長は統一教会と出合って間もなく、統一原理を学ぶ40日修練会に参加した。久保木会長は統一原理を知って大いに喜び、復活したという。その後、大山で断食祈祷を行うことになる。それは真理を知的に感得するだけでなく、心霊の深いところで生きた神を体恤(たいじゅつ)したいという強い願望からであった。

 久保木会長自身の証言によればこうだ。

 「山を下りようかと思い始めたその瞬間、目の前の空が急に赤く焼けただれたかと思うと、それはやがて紅蓮(ぐれん)の色に変わり、ぐるぐる輪を描いて私に迫ってくるのです。恐怖のあまり、私は叫び声をあげようとしましたが、どうしたわけか口が開きません。目の錯覚か、あるいは幻覚か、それとも霊現象なのか」

 大山で現れた神は久保木会長に問いかける。

 「お前は、この信仰の道を最後まで全うする気持ちはあるのか?」

 「はい、あります」

 「それが本気なら、こんな所でぐずぐずするな。すぐに山を下りて、早く真理の道を人々に宣(の)べ伝えよ」

 神の檄(げき)に、断食と不眠の疲れも吹き飛んだ久保木会長は、身も心も軽く、一目散に山を駆け下りたという。

 実は、妻のカオリもまた、生前同じような体験をしている。

 妻が自らの病気を自覚した時、渋谷の代々木公園にある「聖地」で一緒に祈りたいと妻は私を誘った。

 晩秋の夕暮れのころだった。幼いナオミも連れて3人で聖地を訪ねた。
 私たちは手を取り合ってしばし祈りの時間を持った。ナオミも神妙な面持ちで静かに従った。
 祈りの時間を終えて、互いにたわいもない言葉を交わしていたが、妻は帰ろうとは言わなかった。

 「タカシさん、私、もう少し祈っていい?」

 私は妻の心境を察した。神様と向き合う時間を取ってあげなければいけないのだと思った。

 「分かった。ナオミと近くのベンチで待ってる…」

 すっかり日は暮れていたが、妻のしたいようにさせてあげようと思った。
 5歳になっていたナオミも何か感じているのだろうか。駄々をこねることもなく、じっとママの姿を目で追っていた。

 10分ほど過ぎた時だった。
 妻の様子が変だ。むせび泣いている。祈る声も次第に大きくなる。体も揺れ始めた。明らかに様子がおかしい。

 私は心配になり、ナオミをベンチに座らせたままカオリの所に駆け寄って彼女の背をさすった。

 「カオリさん、大丈夫?」

 「ええ、大丈夫…。祈っていたら急に目の前が明るくなって…熱くなって…、火の玉が私に向かってくるの。私の口の中に入ろうとして…」

 カオリはすぐに正気を取り戻したが、呼吸は乱れていた。涙で潤んだ瞳には光が差していた。

 その出来事は、カオリにとってある種の覚悟を決める機会となった。

 「人生は山登りに似ている」という。
 これは著名な精神科医で心理学者、カール・グスタフ・ユングの言葉だ。

 これには続きの言葉がある。
 「山へ登った限りは下りなければならない。山へ登りっぱなしのことを遭難したというのだ」

 山や「聖地」は霊界への入り口なのか。

 精霊崇拝の国、日本。国土の3分の2が森林である。自然豊かな森、樹木と共に生きてきた日本列島人にとって、山や海といった大自然は神の世界に通じる門なのかもしれない。

 気楽に楽しみたい登山だが、心してかからねばなるまい。

 私は山から下りて、二つの世界を強く意識するようになった。
 いずれ娘と山を歩くようになるだろう。

 登山は下山してこそだと、私は肝に銘じた。


参照:『愛天愛国愛人~母性国家、日本のゆくえ』(世界日報社)


登場人物

柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘

柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母

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 次回もお楽しみに!

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