2023.12.25 22:00
神主義と頭翼思想 10
メシヤとは何か
神主義はメシヤをどのように見るか
ナビゲーター:稲森一郎
新しく連載がスタートする同シリーズのオリジナル記事は、1995年10月から1996年10月までの期間、『氏族教会FAX-NEWS』に連載されたものです。
文鮮明(ムン・ソンミョン)・韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁夫妻が提唱し、推進してこられた「統一運動」と、その運動理念である神主義、頭翼思想。その価値を再認識、再発見する機会としていただくために、稲森一郎氏の執筆による「神主義と頭翼思想~その理論と実践」をBlessed Lifeに再掲します(一部、編集部が加筆修正しました)。ぜひご活用ください。
人間は神の姿を実体顕現
もし人間の堕落というものがなければ、聖書の中に「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記 第1章27節)とあるように、人間は神のかたち、すなわち神の形象体として、神の本質と属性を完全に自らのうちに実体化していたはずです。
その時、神と人間の関係は神を心とすれば、人間はちょうど神の体のような立場に立って、 完全に神と一体となって動じ静ずるところの神の実体対象となっていたに違いありません。
言い換えれば、神が「目に見えない神」であるならば、人間は「目に見える神」として、神の姿を実体顕現させることになっていたというのが、本然の理想基準でした。
さらに本然の理想基準に立った人間は、神の本質であるところの神の心情(または真の愛)と、神の属性であるところの二性性相(性相と形状の二性性相および陽性と陰性の二性性相)を、自らのうちに神の似姿として相似的に継承し、実現させます。
すなわち、真なる喜びを真の愛の投入によって得たいとする対象実現的、目的指向的な完全自己投入の愛、与えて忘れる愛の体現者となり、さらに心と体、思考と実践の完全統一、男と女(夫と妻)の真の愛による完全調和を達成する者となるというのが、神に似るということの意味です。
このように天父の完全性を実現した人間のことを、聖書は「神の宮」と呼んでいます。「神、人と共に住みたもう」といわれる人間、すなわち、神の神殿としての人間こそ、本然の人間の姿なのです。
「アダム完成理想」を体現するメシヤ
しかしながら、人間始祖の堕落は、本然の理想たるべき「神の形象」としての人間理想を破壊してしまいました。
真の愛は失われ、心と体は分裂し、男と女は真に愛し合うことができず、怨讐(おんしゅう)関係になってしまいました。神の宮としての人間ではなく、サタンの宮としての人間に堕してしまいました。
ここに神は、人間の再創造を余儀なくされ、創造原理の基準における「アダム完成理想」をもうひとたび、人類の罪悪歴史の中で実現しなければならないということになったのです。
このように神の再創造の歴史的要請を受けて、失われたアダム完成理想を体現する人間を「メシヤ」と呼ぶのです。
メシヤがいつ、どこに現れるのかという問題は、神の摂理の中に隠されており、神の預言者たちがそれを明らかにします。
アダム完成理想を成就するもう一人のアダムとして現れるメシヤは、堕落した「最初のアダム」「古きアダム」に対して、「後のアダム」「新しきアダム」と呼ぶことができるでしょう。
どのようにメシヤ像が語られるにせよ、神秘的なイメージにせよ、現実的なイメージにせよ、最も確かなことは、神が最初のアダムに願った人間の理想を神の願いのとおりに実現した人間が「メシヤ」である、と言明できるでしょう。
すなわち、メシヤは在るべき人間の理想を体現されたおかたであり、従って、全ての堕落人間がそのかたに追随し、そのかたから真の愛を受け、真の生命を受け、真の血統を受け取って、新しく生まれ変わることのできる、そのような天的価値を持って人類の前に立たれる、そういう人間であるということができます。
メシヤとは神主義の体現者
神の本質と属性の体恤(たいじゅつ)者たるメシヤは、第一に、神の真の愛を100パーセント受け、また真の愛を100パーセント人類に注がれるおかたであり、第二に心と体の完全統一を果たされるおかたであると同時に、第三に、新婦を迎えることによって夫婦統一を中心として神の真の愛の完全顕現体となられるということ。そして第四に、神の代身として、神に代わって、天宙を主管される権能を有しておられるおかたであるということです。
その他、細かく言えばいろいろとありますが、骨太にメシヤの本質を語ると、以上のようになります。
結論として、メシヤとは、神主義の理想実体であり、体現者であるということができます。