2023.12.19 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 297
日本キリシタン巡礼⑥
江戸の大殉教
ナビゲーター:石丸 志信
1623年(元和9年)12月4日(旧暦10月13日)、50人のキリシタンは江戸小伝馬町の牢屋から引き出される時、三つの組に分けられた。
デ・アンジェリス神父、ガルベス神父、そして、原主水(はら・もんど)の3人だけは、馬に乗せられて各組の先頭に立てられ、他の信徒らは徒歩でそれに続いた。
江戸芝口にある札の辻に着くと、馬上の3人を除いて皆はすぐに柱に縛られ火刑に処せられた。
苦しみ悶(もだ)える信徒らの姿を馬上の3人の指導者に見せつけ、彼らの心をくじこうとしたがその試みは無駄だった。
信徒たちは炎に包まれてもなお、おじけづいて苦痛の叫びを上げることもなく、ただ主を賛美しながらその一身をささげた。それを見詰める神父たちの心も高鳴った。
その時、見物人の中から二人が役人のもとに駆け寄り、キリシタンであると公言して共に処刑されることを願い出た。彼らはその場では処刑されなかったが、捕らえられ投獄された。
47人が息絶えた後に、二人の神父と原主水が柱に縛られ火が付けられた。
彼らは互いに励まし合いながら焼き尽くす炎の中に立っていた。
デ・アンジェリス神父は、江戸の人々のために祈り、見守る周囲の人々にキリストの教えを熱心に説き続けた。ガルベス神父、原主水も最後まで勇敢な姿を見せた。
キリシタンの殉教は元和の三大殉教で終わったわけではなかった。その間にも各地で多くの血が流された。
江戸芝口の札の辻の刑場でも、50人が火刑に処せられた20日後、小伝馬町の牢屋に留め置かれた女性と子供たち24人に加えて彼らをかくまったキリシタンではない13人がここで処刑された。
翌1624年6月12日には18人、1630年1月24日に一人、1632年1月13日に7人と続き、1640年5月2日には二人の司祭が火刑に処せられた。
江戸で行われた将軍家光が主導する厳しいキリシタン弾圧を見て、全国各地でもキリシタン弾圧が厳しくなり、殉教の血が多く流されていったのである。
【参照】
①片岡弥吉著『日本キリシタン殉教史』(時事通信社、1979年)
➁高木一雄著『東北のキリシタン殉教地をゆく』(聖母の騎士社、2003年)
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