https://www.youtube.com/watch?v=dC49n0-NQXs

小さな出会い 12

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「小さな出会い」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭の中で起こる、珠玉のような小さな出会いの数々。そのほのぼのとした温かさに心癒やされます。(一部、編集部が加筆・修正)

天野照枝・著

(光言社・刊『小さな出会い』〈198374日初版発行〉より)

三度めのお産

 その日は、朝から予感がありました。痛みもなかったけれど、入院のために準備したスーツケースを持っていくことにしたのです。

 「定期検診なんだろう。荷物は早くない?」

 「まあ積んでおいてね、自動車だから……」

 夫にはそう答えたけれど、実際に先生(ドクター)から、もうこのまま入院した方がいいと言われた時には、予感が現実となったことに少し驚きました。

 「じゃ、その前におすし食べてきていいですか」

 先生も看護婦さんも笑いました。

 「三人めとなると余裕があるね。まあいい、気をつけて」

 今回の出産について夫と決めておいたことが一つあります。それは、夫が立ち会うことでした。“まにあったら”という条件つきで。

 「男は一度、出産の場に臨(のぞ)んでみるのがいい」

 と、恩師にすすめられたことがあるからです。

 看護婦さんに、「主人が立ち会うのは、どういう点がいいのかしら?」と聞いてみました。

 「そうですね。赤ちゃんの立場からいえば、生まれた瞬間に両親に会えるというのがすばらしいですね。赤ちゃんは、生後しばらく、はっきり目が見えるんですよ」

 ちょっと意表をついたこの答に、私は感心し、また郷愁に似た温かさも感じました。末(すえ)の妹や弟が生まれた時、玄関を掃き清めて打ち水をし、お産婆(さんば)さんを迎えていた父の姿を思い出したりもしました。「子供は外(そと)」と出されて遊んでいると、オギャーッと聞こえる。生まれたての赤ちゃんに会う時の嬉しさは今も覚えています。

 いよいよ陣痛が本調子になって、分娩室に入りました。震えがきている足もとに置いてくれたゴムの湯たんぽの温かさ。飾ってくれた聖画と、耳もとに流れる聖歌のテープ。助産婦さんの思いやりは母の愛のようで、ふと、深い平安に包まれました。

 腹式深呼吸で、次から次に襲ってくる陣痛の波を必死にのりこえていると、部屋に満ちてくる清い気配を感じました。そのとき、呼吸とは偉大な精神に近づくためのリズムだ、と悟りました。そのリズムにひたすらすがって、現実の身をひきずり、時空を超えていくのです。

 そしてクライマックス。最後の産みの苦しみがやってきます。白い消毒布で覆(おお)われた私の、頭の所に夫が呼ばれて、手を握り、いっしょに力をこめてくれます。その上、先生と二人の助産婦さんがかけ声をかけてリードしてくれ、まるですばらしいお祭みたい。突然、苦しみが終わって産声(うぶごえ)が響き、皆の歓声が沸きあがります。

 「ほら、お坊ちゃんよ!」

 助産婦さんは坊やを軽く私のお腹の上にのせました。まあ、何と小さな、くりっとひきしまった顔、お腹の上のいとおしい重み……。今の今まで胎にいた子と対面する瞬間の、神秘としか言いようのない感動を、夫と共に味わいました。

 「立ち会うまでは凄く悲惨なイメージがあって、正直いって怖かったね。あんなに感動的なものだとは思わなかった。まさに未知との遭遇だな。そして、母親の愛というものは、こういう痛みを越えているんだなあと思った。父親としての自分がまた新しく自覚できたよ」

 三度め。本当にいいお産をさせて頂きました。

---

 次回は、「王様の暮らし」をお届けします。