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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。
 誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。

3話「おばあちゃん、死んじゃうの?」

 母が倒れたのは梅雨の頃だった。孫娘のナオミが学校から帰宅した時のことだ。

 このタイミングが命運を分けた。

 それまでナオミに、「学校はどうだったの?」「宿題は?」などと話しかけていた祖母の声が途切れた。
 洗濯物を畳んでいた祖母が、突然小さくうなり声を上げながらうつ伏せになった。

 「おばあちゃん、大丈夫?」

 「ナオミちゃん、…パパに電話してちょうだい…」

 消え入る声でそう告げると、祖母はそのまま頭を抱えながら横たわって動かなくなった。

 7歳のナオミは父親の携帯電話の番号をしっかりと覚えていた。
 これはただ事ではないと、少しパニック状態になりかけたが、とにかくおばあちゃんの言うとおりパパに電話しなければと、ナオミは11桁の番号を間違えないように、数字を一つ一つ凝視しながら声に出してボタンを押した。必死だった。


 午後3時を回ったところだった。
 ふいにデスクの上の携帯電話が鳴った。
 「自宅」と画面に表示された携帯電話を手に、母からだなと思いながら通話ボタンを軽く押した。

 「もしもしパパ! おばあちゃんが大変! パパに電話してって…」

 「え? 何? おばあちゃんが大変って? どうした? おばあちゃんは電話に出られるの?」

 「無理! おばあちゃん、倒れちゃった」

 ナオミの声はひどく緊張していたが、涙声ではなかった。

 「分かった。すぐそっちに向かう。とにかくそのままそこを動かずに待っててね!」

 妻のカオリが病気で亡くなって半年が過ぎた頃のことだった。
 最初の数カ月は父娘で何とか生活していたが、祖父母はまだ幼い孫娘を不憫(ふびん)に思ったのだ。高齢ではあったが、私とナオミのために同居を申し出た。

 両親は共に60代の後半を迎えていた。父はすでに現役を引退し、母は高血圧症を抱える身であったが、嫁を失った悲しみと無念さを抱きながらも、「女の子を育てるのは初めてだけど楽しみ」と、老後の人生設計の変更を決めた。

 母が倒れた日、父は遠方の知人の家に出かけていた。
 私が生まれた時も、父は長期の出張で家を空けていた。息子の顔を初めて見たのは誕生後50日がたってからのことだった。
 人生とはそんなものかもしれない。命運を分ける瞬間にも母は息子の私に頼るしかなかったのだ。

 「母を死なせてはならない。生きてくれ…」

 私は119番をダイヤルし、娘から聞いた母の状況を早口で伝えた。一刻を争うという緊迫感でいっぱいだった。

 ナオミのことも心配だ。同じマンションの隣の部屋に住む夫人にも連絡を取り、母と娘のことを頼んだ。

 他に連絡すべきところはないか。締め付けられるように圧迫されるこめかみに手を当てながら、私は必死に頭を回転させた。父とはすぐには連絡がつかなかった。父は携帯電話を持たない人だったからだ。

 上司に報告すると、「仕事のことはいい。誰かに任せて、とにかくすぐに向かいなさい」とせわしく右手を動かしながら私に急ぐよう促した。上司はわが家の事情を知っていた。

 「柴野君、もう出社しなくていいぞ、在宅で対応すればいい。落ち着いたら状況を知らせてくれ」

 出がけに上司は周りにも聞こえるようにそう言った。
 インターネット環境も整ってきた頃だ。パソコン一つでかなりの仕事がこなせる時代になっていた。
 私はその日から「リモートワーク」の先駆けとなった。

 私が自宅に着いた時にはすでに母は救急車で二駅先の総合病院に運ばれていた。
 娘には隣の部屋の夫人が寄り添ってくれていたが、娘はひどくショックを受けている様子だった。

 「おばあちゃん、死んじゃうの?」

 「大丈夫…きっと助かるさ。…大丈夫だよ、大丈夫…よく電話してくれたね」

 私は娘の肩を抱いて頭をなでた。

 もし娘のいない所で母が倒れていたら…。
 もし娘のいない時間に母が倒れてしまっていたら…。

 私は母が運ばれた病院の待合室で待機した。長い時間が過ぎた。
 担当医の話を直接聞く場が持たれた時には、すでに救急車を呼んでから5時間が経過していた。

 「おそらく、くも膜下出血ですね」

 医師は開口一番、そう言って講義でもするように話を続けた。

 くも膜下出血。
 くも膜下出血は脳動脈瘤といわれる血管の膨らみがある日突然破裂することによって起こる。
 30
パーセントの人は治療により後遺症なく社会復帰するが、約50パーセントは初回の出血で死亡するか、病院に来ても治療対象とならない。残り20パーセントは後遺症が残るといわれている。
 つまり助かるのは二人に一人。生存する可能性は50パーセントだということだ。

 担当医としての所見を示しながら、今後の対応に関する方針の説明がなされた。
 造影剤の投与に当たっては家族の許可が必要だという。
 造影剤を使わなければ、正確な診断が得られないが、造影剤は副作用や問題点も指摘されている。
 やっと連絡が付いた父が病院に到着するのは明日になってしまう。息子の私が家族を代表して判断しなければならなかった。

 「君の義母さんを助けてほしい。君の愛するナオミのためにも…」

 私は神ではなく、先にあの世に旅立ってしまった妻を思い浮かべながら祈った。
 神に祈ったら、「神様、あなたは妻だけでなく私の母も天国に連れていってしまうのですか」とつぶやいてしまいそうだったからだ。

 翌朝、造影剤が投与された。破裂した脳動脈瘤の位置や状態が明らかになり、手術が行われることになった。
 手術は全身麻酔で行われる。これも家族の同意が求められる。私は厳粛な思いで同意書に署名した。
 くも膜下出血の手術では、まず頭皮を切開し、頭蓋骨の一部を取り外す。くも膜下腔を経由して脳動脈瘤に到達し、動脈瘤にクリップを掛けるというものだ。

 20代の若い担当医は、丁寧に説明してくれた。
 少し耳の遠くなっていた父に代わって、私は全身全霊を傾けて母の命に寄り添った。

 手術は9時間にも及んだが、母は一命を取り留めた。母は二分の一の確率をクリアしたのだ。
 そして6カ月後、母は重度の後遺症を負うことなく社会復帰を果たすことになる。30パーセントの帰還者となったのだ。

 ガスコンロを扱い、一人で買い物に出かけ、お金の計算もすることができる。つまり家事を行うことができるまでに回復したのだ。それが母の社会復帰の証しだった。

 母の入院中、父はどこにも出かけず、毎日母のもとに通い詰めた。そして黙々と献身的に母の世話に当たった。今まで妻に尽くしてこられなかったことを詫(わ)びるように…。

 母が死にかけたことで父は元気を失った。昭和の亭主関白も、意外と脆かった。日ごとに回復する母と比して、父の弱気な姿には、小学2年生のナオミも心配するほどだった。

 高血圧症だった母。すでに30代の頃、かかりつけ医が夫である父に対して「奥さんのこと、覚悟しておいてくださいね」と告げるほど重度の高血圧症だった。爆弾を抱えて生きてきた母だった。

 しかし母は復活した。
 母は見違えるほど元気を取り戻した。大病を乗り越えたためなのか、高血圧症も消えていた。

 祖母と孫娘の誕生日は同じ月、同じ日だった。これも不思議な縁(えにし)だ。誕生日を祝う二人のツーショット前にはいつも二つのバースデーケーキが並んだ。

 孫娘が祖母の命を救った。孫娘の電話が命運を分けたのだ。

 母もまた、カオリが逝ってしまった年齢の頃から、「覚悟」の運命を背負って生きてきた。
 妻が私の祈りに応えてくれたのかどうかは分からない。
 だが母は確かに何者かによって生かされたのだ。

 命のバトンは老いた者から若い者へと渡される。それが自然の摂理であり、物事の道理だ。

 人生はバトンリレーのようなものだ。
 だが見方を変えれば、あの世とこの世の間をキャッチボールでつなぎながら人生を生きているというのが、人間の真実の姿なのかもしれない。


登場人物

柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
柴野直実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘

柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母

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 次回もお楽しみに!

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