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心情開拓
心霊を育てる生活原則(133)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

10 あなたが成長するために

▲李耀翰先生

(質問5)信仰生活を始めて長くなりますが、もう一度刺激を受けて復活するためには

 兄弟は、古くなれば内的に努力しないのです。なぜなら、今までの教会の内容についてたくさん知っているからです。しかし、その知識がかえってその人には、毒になっているのです。

 ユダヤ人たちは、自分たちはアブラハムの子孫だ、祖先はこうだ、モーセはこうだとばかり知っていて、これからの摂理とは全然関係ないのです。私たちも統一教会に来て3年だ、7年だ、10年たったという。しかし、現実において原理的ではない。私たちは、今までのことに支配されることのない原理的な自分であるかどうかを反省し、各々自分が復活しなければならないと、私は思っているのです。

 公的な人は、目の前のことでああだ、こうだと刺激を受けない。イエス様は死んでも失敗とは思わない。なぜか。イスラエル民族のために暮らしているからです。「殺すなら殺せ、死んでも生きるぞ!」。だから正義に死ぬ人は、死ぬ勇気が出るのです。死んでも死ぬのではない。私が血を流したら後孫たちが何十倍、何百倍も立ち上がるのだという自信がある。正義の人は、霊から預言を聞かなくても、自分の心からそういう力が出るのです。だから情を込めて暮らす人は、勇気を与えられるようになる。そうしないと、現在の私の心霊にどう刺激することができるか。刺激なしに自分の霊人体を育てることができないのです。

 イエス様も、あまりにも相手がいないから、悲しい人を訪ねていって、友達になっていった。その人を喜ばせたり、愛したり、その人たちが感謝するのを見て、力を得たのです。

 大先生も初め、多くのアメリカ人たちが話を聞いて、涙を流す姿を見て自信をもたれた。「人間は同じだな!」。笑わせてみると、みな笑う。「よっしゃ」とそこに勇気が出るのです。人のために暮らした人は、何となく勇気がある。これが永遠の生命の価値として、自分の霊人体の糧として残っているのです。

 「私は何でもない」、「私はどうでもいい」という人は、霊人体を自殺させる人です。神に所有されたなら、誇りながら暮らせるのです。なぜ? 自分は自分だけではないからです。神を誇れということは、自分も共に誇らなくてはならないのです。神と自分は一つであり、全体と自分も一つであると考えなくてはなりません。いつも力が抜けるのは、自分を一人と考えるからです。全体と関係ない者と考えるからです。

 しかし私たちは、原理的に全体のために必要のない者でしたが、神が必要として今ここに暮らしているのです。本当は自殺すべき者だったのです。

 「今までのお前は、ここに存在すべき価値のない者だ。それを知っているか」。「知りません」。「それでは生きていくべき何ものがあるか」。「何もありません」。

 神に「従うか」と言われて、生かされるのが本当なのです。私を必要だという人が、私を復活させる。その人の価値を悟りながら、神を誇るなら、自分は神のものだ。そのように暮らすのです。けれども環境に疲れて、自分は自分のものだとすると、力が抜けるのです。サタンが「お前のような者が神の息子か、何の資格があるのか」と讒訴(ざんそ)するのです。

 私たちが最初に伝道に行った時、法科4年生、卒業クラスの人ですが、その人が原理を聞いて学校をやめ、聖書も讃美歌も知らないで、開拓に行ったのです。江原道(カンウォンド)の春川(チュンチョン)という所で、学生たちを指導したところ、既成教会の高校生たちが集まってきたので、原理講義をしたのです。

 ある日、牧師が統一教会の伝道師は素晴らしいといううわさを聞き、会いに来たのです。彼は、マタイ福音書が新約にあるかどうかも知らないのです。そこへ質問されたので、「大先生が巡回に来る時に来なさい」と言ったのです。自分が知らないということは、絶対に言わない。自分は大先生から派遣されていて、大先生が全部知っているのですから、大先生が巡回に来た時に来なさいというのです。こう勇気を出して語り、牧師たちを帰したのです。

 あなたはどうですか。困ったな、聖書も知らないしと、力が抜ける人がいるかもしれない。そういう時に、この人は大先生を中心として答えて勇気を得た人です。全然知らないのですが、知らないという立場に立たなかったのです。そうすると牧師たちも、その人が何も知らないことを知らずに、帰ったのです。統一教会式とはこんなものかなといって。最初開拓に行った人はみな、そうです。

 おばあさんたちも伝道して、大学生たちを連れてきたのです。「原理」をただ耳で聞いただけで出掛けていった。印刷したものも何もない時です。その時の伝道が最も力強かったのです。

 皆さんは、信仰者として、自分一人だけで存在しているのではないのです。自分の位置を守れというのです。それを知らずに、自分を勝手に取り扱うと、力が抜けてしまうのです。

 信仰者は、結婚したのと同じです。結婚すると主体者の位置によって、その人の位置も決まるのです。例えば、大統領の奥さんなら、その身分になる。私たちもそうです。世界の中で、何ものとも比べられない大先生の命令で、大先生と共に摂理の参加者として現れたという心でないと、勇気が出ないというのは当然なのです。

 その位置から離れると、力が抜けます。だから大先生は、「日に三遍誇れ」と言われます。日に三回御飯を食べておきながら、日に三回神の前に誇らないで、君たちの魂は生きていかれると思うのか。兄弟同士でも、勝利を誇れ。私たちの位置を誇れ。私たちの方向や使命を誇れ。ところが希望がないから、誇るものがないのです。

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 次回は、「カイン・アベル問題の勝利の秘訣」をお届けします。


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