2023.11.19 17:00
日本人のこころ 80
司馬遼太郎『坂の上の雲』
ジャーナリスト 高嶋 久
国民の歴史を描く
今年は国民作家と言われた司馬遼太郎(1923~96年)の生誕100年にあたります。大正12年、大阪市に生まれた司馬は、大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)蒙古語部に学び、昭和18年に学徒出陣で戦車連隊に入営します。旧満州や栃木県佐野市での苦渋に満ちた戦争体験が、「日本人とはなにか」という壮大なテーマに取り組むきっかけになりました。
戦後、産経新聞の記者になった司馬は、在職中の昭和35年に小説『梟(ふくろう)の城』で直木賞を受賞した翌年、退社して作家生活に入ります。以後、歴史小説を数多く発表し、国家の発展の軸を国民の成長におく歴史の見方は「司馬史観」と呼ばれるようになり、大衆とりわけビジネスマンから大きな支持を受けるようになりました。
司馬が描こうとしたのは、変動の時代に合理主義によって封建的で不合理な過去を否定し、新しい地平を開いた歴史上の英雄たちで、歴史小説では斎藤道三や織田信長、羽柴秀吉、土方歳三、坂本竜馬、秋山真之(さねゆき)などが主役として活躍します。坂本竜馬は幕末史でそれほど注目されていなかったのですが、『竜馬がゆく』をきっかけに一躍、薩長同盟を実現させたヒーローになりました。
生誕100年に合わせて、司馬遼太郎記念財団がインターネットなどで行った「好きな司馬作品」アンケートによると、1位は『坂の上の雲』、2位は『竜馬がゆく』、3位が『燃えよ剣』で、男性では『坂の上の雲』、女性では『燃えよ剣』がトップです。全作品の累計発行部数は2億673万部で、多くが文庫化され広く読まれています。
司馬史観を簡単に言うと、「明るい明治」と「暗い昭和」で、明治から暗かったとする、戦後の言論界を支配した唯物史観に基づく、自虐的な歴史観に対する痛快な反論となりました。『坂の上の雲』で日露戦争を、従来の「天皇の戦争」から「国民の戦争」としたのはその典型で、近代日本の自画像を描きたい大衆の気持ちに応えたのです。
『坂の上の雲』では、明治の日本が、欧米列強に学びながら近代国民国家としての体制を整えていく時代を、日清戦争と日露戦争を中心に描いています。主人公は、愛媛県松山の生まれで、日本陸軍の騎兵部隊を創設した秋山好古(よしふる)、その実弟で海軍に入り、日本海海戦を勝利に導いた秋山真之、真之の親友で明治の文学史に大きな足跡を残した俳人正岡子規の3人で、彼らが成長する国民の象徴となっています。
戦争が小説の中心になったのは、近代国民国家のかなめはナポレオンに始まる国軍の創設だったからです。日清戦争の相手の清国の軍隊は国軍というより李鴻章の私兵で、清国にとっては李鴻章と日本との戦争でした。日露戦争も帝政ロシアとの戦争で、皇帝の軍隊に国民の軍隊が勝利した歴史です。
重要なのは、日清・日露の戦争は、いずれも朝鮮の領有権をめぐって起きたことです。当時の朝鮮は李王朝の時代で、地政学的に日本の安全にとって重要なことから、明治政府は何とか開国させ、近代化の道を歩ませようとします。とりわけ幕末からの脅威だったのは南下政策を展開していたロシアで、西郷隆盛は防衛のため北海道に陸軍師団を創設しました。当時の李王朝は清を宗主国としていたので、日本はまず近代国家として独立させようとして、軍事力を背景に圧力をかけるようになり、それが日清戦争を招いたのです。
日清戦争の結果、朝鮮は独立国となりますが、日本の影響を排除しようとした李王家はロシアとの関係を深めます。そして、日清戦争で獲得した朝鮮での権益をめぐる争いが拡大したのが日露戦争です。保守派の人たちが、「日本が植民地化していなければ、朝鮮はロシアの属国になっていた」と主張するのは当時の国際情勢からして間違いではないのですが、一方的な被害を受けた朝鮮・韓国の人たちにとっては、当然ながら納得できない話です。
司馬が、戦争体験を踏まえ、暗い昭和を語るようになったのは小説を書くのをやめてからで、それが司馬の本意だったのですが、影響はかつてほどではありませんでした。
上記を言い換えると、日露戦争の勝利が太平洋戦争の敗戦をもたらした、となります。薄氷の勝利だったのに、政府がそれを隠したため国民はより好戦的になって、軍の拡大を容認します。リアリズムを失った軍人と軍隊の官僚化、自己目的化が、勝てるはずのない米国との戦争に突き進ませたのです。戦車部隊に配属された司馬は、最も合理的な判断を要する部隊を支配する精神主義に絶望しています。
懐かしい人
思想史家の松本健一は司馬遼太郎について「生きているときから懐かしい人だった」と話していました。二人の歴史観は微妙に違いますが、「歴史はつねに現在の物語」とし、歴史を「今」「私」が物語るというスタンスは共通しています。
人が人生を通して探究するのは「私とは何か」で、そこには「日本という国とは何か」も大きく含まれます。つまり、誰もが「日本に生きる私の自画像」を描きたいのです。その歴史を感じさせる語りが「懐かしい」のでしょう。
戦後、戦前の日本を否定する教育を受けた高度成長期のビジネスマンたちに、生きる誇りと自信を与えたのが司馬作品の歴史教養だったと言えます。