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ダーウィニズムを超えて 33

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第三章 ドーキンスの進化論と統一思想の新創造論

(三)われわれは遺伝子の乗り物か

 ドーキンスは生命の誕生について、海辺の「原始のスープ」の中で「あるとき偶然に、とびきり際立った分子が生じた。それを自己複製子と呼ぶことにしよう。それは必ずしも最も大きな分子でも、最も複雑な分子でもなかったであろうが、自らの複製を作れるという驚くべき特性をそなえていた。これはおよそ起こりそうもない出来事のように思われる(*33)」と推測している。

 やがて「自己複製子は存在を始めただけでなく、自らの容れ物、つまり存在し続けるための場所をつくり始めたのである。生き残った自己複製子は、自分が住む生存機械(survival machine)を築いたものたちであった(*34)」。ドーキンスは生存機械のことを「ヴィークル」(乗り物)とも表現する。自己複製子のヴィークルは染色体、細胞、そしてのちには多細胞生物体の形を取り始めたのであった。

 そして40億年が過ぎ去った今、「彼らはあなたの中にも私の中にもいる。彼らはわれわれを、体と心を生みだした。そして彼らの維持ということこそ、われわれの存在の最終的論拠なのだ。彼らは、かの自己複製子として長い道のりを歩んできた。いまや彼らは遺伝子という名で呼ばれており、われわれは彼らの生存機械なのである(*35)」。

 人間という生存機械(ヴィークル)は遺伝子のコピーを増殖する機械であり、「われわれは目的[遺伝子のコピーの増殖]を果たしたあと、捨てられる。だが、遺伝子は地質学的時間を生きる居住者である。遺伝子は永遠なのだ(*36)」。

 このようなドーキンスの主張する根本原理は「はじめに遺伝子ありき、遺伝子は永遠なり」と要約できよう。ドーキンスの「遺伝子乗り物説」を図31に示す。

 統一思想において、すべての存在や現象を性相と形状の二性性相として理解する。性相は心あるいは精神的側面であり、形状は体あるいは物質的側面である。性相と形状の関係は、いわば、性相を電波とすれば、形状はラジオまたはテレビのような受信機に相当するものである。性相と形状において、形状である受信機は、性相である電波の担荷体(キャリアー)である。したがって生命現象において、形状であるDNA(多くの遺伝子を含む)は生命の波動を受けとめる受信機に相当するのである。

 宇宙には生命の場(ライフ・フィールド)があり、生命の波動が満ちている。その生命の波動をキャッチするのがDNAであり、その素子ともいうべきものが遺伝子である。したがってDNA(遺伝子)は生命のヴィークルということになる。さらに人間は生命を維持しながら肉身生活を通じて、霊的な成長をなしとげていくのである。そして霊的な成長を通じて愛を完成していくのである。したがって、DNAは生命の乗り物であり、生命は愛の乗り物であると見るべきである。神の創造は愛を動機としてなされた。したがって「はじめに遺伝子ありき、遺伝子は永遠なり」ではなくて、「はじめに愛ありき、愛は永遠なり」である。統一思想から見た「乗り物説」を図32に示す。


*33 リチャード・ドーキンス、日高敏雄他訳『利己的な遺伝子』紀伊国屋書店、2006年、21頁。
*34 同上、28頁。
*35 同上。
*36 同上、50

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 次回は、「延長された表現型」をお届けします。


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