2023.11.17 22:00
【テキスト版】
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第163回 文鮮明総裁は共産主義の崩壊のためにどのような歩みをしたのですか?
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回は、「文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁は共産主義の崩壊のためにどのような歩みをしたのですか?」という質問に対してお答えします。
文鮮明総裁は1976年、米国で行われた「ワシントン大会」でソ連のモスクワに行くことを宣言しました。そしてそれは1990年に現実のものとなりました。
1990年4月10日から13日まで第11回世界言論人会議がモスクワで開かれ、4月11日に文鮮明総裁とゴルバチョフ大統領の会談が行われたのです。
文鮮明総裁は、ゴルバチョフ大統領に対してソ連を称賛したり、グラスノスチ(情報公開)やペレストロイカ(改革)に対して称賛したりしませんでした。「共産主義ソ連帝国は滅亡する」と言ったのです。
さらに文鮮明総裁は、「共産主義を捨て、宗教を受け入れ、神主義で青年教育をすること」などを提言しました。
その後、ゴルバチョフは3000人の青年を米国に送り、神主義と頭翼思想の教育を受けるようにしました。
またゴルバチョフは、文鮮明総裁から韓国との国交を結ぶことを勧められ、その年に韓国と国交を結んだのです。
旧ソ連のイズベスチヤ新聞社は、『神と私たち―文鮮明師の教え』を10万部発行して、ロシア各地に配布しました。
結果的に、1991年12月25日にソ連が解体され、共産主義国家としての終焉(しゅうえん)を迎えるに至りました。
ソ連崩壊直前の1991年11月30日、文鮮明総裁は突如として北朝鮮を訪れ、12月6日、文総裁を幾度か暗殺しようとした金日成主席と会談しました。
反共・勝共の文鮮明総裁が北朝鮮に行ったという報道は、全世界を驚愕(きょうがく)させました。
文鮮明総裁は会談に先立って、北朝鮮の国会議事堂で「主体思想では南北統一できない」と述べ、「南北の統一は力によるものや、どちらかが一方的に飲み込むのではなく、頭翼思想、神主義によって、南と北の価値観を統一することによって行われるべきだ」と訴えました。
「主体思想を汚すものは死刑および全財産の没収」とされている北朝鮮で、主体思想を批判するということは考えられないことであり、北朝鮮の高官は真っ青になりました。
しかし、文鮮明総裁の命懸けの宣言は、金日成主席を憎むからではなく、怨讐(おんしゅう)を許し、兄弟として愛する、真の愛に基づくものでした。
そのため金主席は主体思想を批判した文総裁と会ったのです。その結果、後に北朝鮮の高官が漏らしたように、「主体思想に穴が開いた」のです。
文鮮明総裁の宣言は、凝り固まった主体思想の中で身動きできなくなっている金日成主席と北朝鮮の高官たちを解放する役割を果たしたのです。
金日成主席は自分よりも腹の大きい文総裁に魅力を感じたのでしょう。会談後、金日成主席は同席した高官が驚くほど上機嫌でした。
その後、金主席より「文総裁と一回だけ会ったけれど、もう一度会いたくなった」という便りが届きました。
まさに、愛することができないものまでも愛する真の愛故に、心情的には金日成主席の親の立場に立ったのです。
会談の結果、以下の「合意事項」が発表されました。
その内容の要旨は、①南北統一の一段階として、離散家族捜し作業を実施する ②核エネルギーは平和的目的でのみ使用し、北朝鮮は道理にかなった国際核査察を受けることを確認する ③軍需産業を除外した北朝鮮の平和的経済事業に統一グループが参与する大原則に合意する ④南北首脳が会談し、統一方式の討論および決議をすることができるならば、南北頂上会談が可能であることを確認する ⑤金日成主席の要請により、文鮮明総裁は金剛山開発を国際的見地から実施する、というものでした(参照:朴普熙著『文鮮明師の電撃的な北朝鮮訪問』世界日報社、142~144ページ)。
このように、文鮮明総裁は自ら共産主義の中心的人物と会うなど、共産主義の解放のために歩まれたのです。