2023.11.07 22:00
脱会説得の宗教的背景 12
共観福音書には多くの食い違いがある
教理研究院院長
太田 朝久
YouTubeチャンネル「我々の視点」で公開中のシリーズ、「脱会説得の宗教的背景/世界平和を構築する『統一原理』~比較宗教の観点から~」のテキスト版を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。
講師は、世界平和統一家庭連合教理研究院院長の太田朝久(ともひさ)氏です。動画版も併せてご活用ください。
共観福音書間における相違点
マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝を比較すると、①資料内容の相違、②イエスの生涯の“時系列”の相違、③状況設定の相違、④実際の地理との相違などがあります。
①資料内容の相違
マタイ伝(1章)とルカ伝(3章)の系図が異なります。マタイ伝は大工ヨセフの父がヤコブなのに、ルカ伝はヘリです。
マタイ伝の「カナンの女」(15・22)の記述が、マルコ伝は「ギリシヤ人」(7・26)です。
エリコで盲人を癒やす奇跡は、マタイ伝(20・30)は二人で、マルコ伝(10・46)とルカ伝(18・35)は一人です。
復活したイエスの話も、マルコ伝(16・5)とマタイ伝(28・2)は、墓に現れた天使が一人なのに、ルカ伝(24・4)は二人です。
墓を訪ねた女の記述にも違いがあります。その他にも、さまざまな食い違いがあります。
➁イエスの生涯の“時系列”の相違
イエスの12弟子選びは、マタイ伝は「ヤイロの娘の癒やし」より後で、マルコ伝とルカ伝はそれ以前です。
律法学者に語った「最大の律法」の話やイエスに「香油を注ぐ女」の話などは、マタイ伝やマルコ伝はエルサレム入城後の受難週なのに、ルカ伝はそれ以前です。
ペテロの「三度の否認」は、マタイ伝とマルコ伝はユダヤ議会(サンへドリン)の裁き後なのに、ルカ伝は議会の裁きより前です。話の順番が違うため一つのストーリーにできません。
③状況設定の相違
5000人を養った「パンの奇跡」は、マルコ伝では、ただ単に「寂しい所」の出来事なのに、ルカ伝はベツサイダの町中にいて起こった出来事です。
マルコ伝では、イエスは「群衆」に対して話しているのに(12・37~40)、ルカ伝は「弟子たちに」(20・45)という言葉が挿入され、イエスが語る対象は群衆から弟子に変更され、「群衆」はそれを聞いているだけの存在です。
マタイ伝(13・2)やマルコ伝(4・1)は、イエスが「種をまく人」の例え話をされた時、海辺で舟の上からの説教なのに、ルカ伝(8・4)は海辺という状況設定すらありません。
④実際の地理との相違
福音書の記述と実際のパレスチナの地理には、矛盾があります。
ルカ伝は、イエスは故郷ガリラヤからエルサレムに向かって旅をするストーリーを展開していますが(参考:9・51、13・22、13・33、17・11、18・31、19・28)、その旅の行程を、実際のイスラエルの地理と比較すると矛盾しています。
『カトリック聖書新注解書』は、「(ルカの)旅行が文学的虚構であることを証明する」(1272ページ)と述べ、『新共同訳・新約聖書注解Ⅰ』は、「(ルカ伝は)パレスチナの地理をあまり知らない人物が編纂した書」(262ページ)と注解しています。
同様の問題は、マタイ伝やマルコ伝にもあり、ヘロデ王の誕生日の祝いの席で、サロメが褒美に洗礼ヨハネの首を求めた時、首が運ばれてきました(マルコ6・28、マタイ14・11)。
『新共同訳・新約聖書注解Ⅰ』は、宴会はガリラヤ湖畔の王宮と考えられ、洗礼ヨハネは死海のマケルス砦に収監されているため、「はねた首を即座に持って来ることはできない」(100ページ)と注解しています。
(続く)
※動画版「脱会説得の宗教的背景 第4回『リベラル』と『福音派』との和合(新約聖書学)」はこちらから