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脱会説得の宗教的背景 12
共観福音書には多くの食い違いがある

教理研究院院長
太田 朝久

 YouTubeチャンネル「我々の視点」で公開中のシリーズ、「脱会説得の宗教的背景/世界平和を構築する『統一原理』~比較宗教の観点から~」のテキスト版を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。
 講師は、世界平和統一家庭連合教理研究院院長の太田朝久(ともひさ)氏です。動画版も併せてご活用ください。

共観福音書間における相違点
 マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝を比較すると、①資料内容の相違、②イエスの生涯の“時系列”の相違、③状況設定の相違、④実際の地理との相違などがあります。

①資料内容の相違
 マタイ伝(1章)とルカ伝(3章)の系図が異なります。マタイ伝は大工ヨセフの父がヤコブなのに、ルカ伝はヘリです。
 マタイ伝の「カナンの女」(1522)の記述が、マルコ伝は「ギリシヤ人」(726)です。
 エリコで盲人を癒やす奇跡は、マタイ伝(2030)は二人で、マルコ伝(1046)とルカ伝(1835)は一人です。
 復活したイエスの話も、マルコ伝(165)とマタイ伝(282)は、墓に現れた天使が一人なのに、ルカ伝(244)は二人です。
 墓を訪ねた女の記述にも違いがあります。その他にも、さまざまな食い違いがあります。

➁イエスの生涯の“時系列”の相違
 イエスの12弟子選びは、マタイ伝は「ヤイロの娘の癒やし」より後で、マルコ伝とルカ伝はそれ以前です。
 律法学者に語った「最大の律法」の話やイエスに「香油を注ぐ女」の話などは、マタイ伝やマルコ伝はエルサレム入城後の受難週なのに、ルカ伝はそれ以前です。
 ペテロの「三度の否認」は、マタイ伝とマルコ伝はユダヤ議会(サンへドリン)の裁き後なのに、ルカ伝は議会の裁きより前です。話の順番が違うため一つのストーリーにできません。

③状況設定の相違
 5000人を養った「パンの奇跡」は、マルコ伝では、ただ単に「寂しい所」の出来事なのに、ルカ伝はベツサイダの町中にいて起こった出来事です。
 マルコ伝では、イエスは「群衆」に対して話しているのに(123740)、ルカ伝は「弟子たちに」(2045)という言葉が挿入され、イエスが語る対象は群衆から弟子に変更され、「群衆」はそれを聞いているだけの存在です。
 マタイ伝(132)やマルコ伝(41)は、イエスが「種をまく人」の例え話をされた時、海辺で舟の上からの説教なのに、ルカ伝(84)は海辺という状況設定すらありません。

④実際の地理との相違
 福音書の記述と実際のパレスチナの地理には、矛盾があります。
 ルカ伝は、イエスは故郷ガリラヤからエルサレムに向かって旅をするストーリーを展開していますが(参考:95113221333171118311928)、その旅の行程を、実際のイスラエルの地理と比較すると矛盾しています。
 『カトリック聖書新注解書』は、「(ルカの)旅行が文学的虚構であることを証明する」(1272ページ)と述べ、『新共同訳・新約聖書注解』は、「(ルカ伝は)パレスチナの地理をあまり知らない人物が編纂した書」(262ページと注解しています。

 同様の問題は、マタイ伝やマルコ伝にもあり、ヘロデ王の誕生日の祝いの席で、サロメが褒美に洗礼ヨハネの首を求めた時、首が運ばれてきました(マルコ628、マタイ1411)。
 『新共同訳・新約聖書注解』は、宴会はガリラヤ湖畔の王宮と考えられ、洗礼ヨハネは死海のマケルス砦に収監されているため、「はねた首を即座に持って来ることはできない」(100ページ)と注解しています。

(続く)

※動画版「脱会説得の宗教的背景 第4回『リベラル』と『福音派』との和合(新約聖書学)」はこちらから