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神主義と頭翼思想 1
絶対神たる神を知る①

ナビゲーター:稲森一郎

 新しく連載がスタートする同シリーズのオリジナル記事は、1995年10月から1996年10月までの期間、『氏族教会FAX-NEWS』に連載されたものです。
 文鮮明(ムン・ソンミョン)・韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁夫妻が提唱し、推進してこられた「統一運動」と、その運動理念である神主義、頭翼思想。その価値を再認識、再発見する機会としていただくために、稲森一郎氏の執筆による「神主義と頭翼思想~その理論と実践」をBlessed Lifeに再掲します(一部、編集部が加筆修正しました)。ぜひご活用ください。

神を知ることから始めなければならない
 「主を恐れることは知識のはじめである」(箴言1章7節)と、イスラエルの王ソロモンは述べました。
 私たちの人生が真に幸福なるものとして築き上げられるためには、ソロモン王のこの言葉をかみしめてみる必要があります。

 「主を恐れる」とはもちろん、神を恐れるということですが、神を恐れるためには神が存在するという前提が確かなものでなければなりません。

 そして神がただ存在するというだけでなく、その神は人間と深い関わりを持とうとしておられるということ、また人間も神との深い関わりを持たなければ決して幸福なる人生を送ることはできないということを認識できたときに初めて、人間は神を知り、神を恐れ、神を愛し、神に愛される人生の出発点に立っているということができるでしょう。

 「神主義」は、何といっても、神を中心とする思想である以上、神を知ることから始めなければならないという立場に立っているのです。

神の摂理の中心的使命国家、日本
 日本の宗教的、文化的背景には、絶対神を中心とする価値観がないとよくいわれます。それはある意味ではもっともな話で、神の摂理という観点から見たとき、歴史的に日本は摂理の中心圏から遠い所に置かれていたという理由が挙げられます。
 すなわち、ユダヤ・キリスト教的な唯一絶対神の宗教的文化圏に接する機会に恵まれず、唯一絶対なる神と人間という縦的宗教観念を醸成する歴史的過程を踏むことができなかったということです。

 しかし、事態はここに一変しました。
 今や日本は旧約、新約、成約という神の摂理の段階を超え、天一国時代の中心的使命国家となったからです。
 旧約、新約の摂理的中心圏から外れた歴史的背景を持ちながら、突如として、神の復帰摂理の完成段階である再臨成約時代、さらに天一国時代の摂理的中心圏に立ってしまったということです。

『原理講論』に著された神の心情と摂理
 ここで問題になるのが、ユダヤ教、キリスト教の旧約、新約的宗教遺産をほとんど持たないまま、旧約、新約の延長線上に来る成約のみ旨を成約摂理の中心国家として日本はいかにして果たすことができるのかということです。

 日本は、途方もない課題を抱えているということになるのですが、その根本的問題は、「天地を創造し給うた唯一、永遠、絶対の真なる神はいる。その神は全ての人類を等しくご自身の子女として真の愛の懐に抱き、遠からず一つの世界、平和と愛と喜びに満ちた理想郷をお創りになるであろう。そのために日本は国家を挙げて、世界のために生きよう」という認識と決意を持ち得るかどうかです。

 日本国民の宗教的感性が、ユダヤ・キリスト教の神観と歴史的な連続性を持って育まれるためにも、「聖書」を学ぶことは必須であり、さらに聖書の奥義解明、すなわち、聖書の中心思想である「創造」「堕落」「復帰」の深い意味を解き明かしてくれている『原理講論』を熟読し、神の心情と摂理に精通するように努めることは、極めて大切なことであると言わざるを得ません。

神は全ての存在の始まり
 神を真に知ることこそが、全ての事柄を正しく認識する出発点となると、なぜ言明できるのでしょうか。
 それはまさしく神こそが全ての始まりを創ったその張本人、その究極の原因者であるという認識を私たちが持つことによって、そのように言えるのです。

 ではなぜ、私たちは「始まり」を考えなければならないのでしょうか。
 それは、物事は全て始まりを持ち、始まりのない物事はおおよそ考えられないという一つの確信から、私たちは「始まり」を考えざるを得ません。
 人生と宇宙の根本問題を解決する鍵は、全ての存在の始まりに対する説明を可能にする「第一原因」としての神を見いだすところにあると言えるのです。