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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(127)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
八、悔い改めた時は出発した時と同じ

▲金元弼先生

すべての人は神の使い

 「統一原理」を勉強しても、親の心情、神の心情については、漠然としていてなかなか分かりにくいのです。けれども、今話したような生活をしていると、自分も知らないうちに、いろいろと分かってくるのです。

 親の心情も、神の心情も、祈っても分かりません。祈っても、親の心情をどのようにして見せてあげますか。どのようにして神の心情を見せてあげたら分かりますか。神は見えないのです。

 神は、神の心情を受け継いでこられた、そのお手本として現れたメシヤを中心として現れるのです。ですからメシヤは無形なる神の道を、そのまま行かなければいけないようになっています。神は無形ですから、なかなか分かりません。しかしメシヤは、実体の肉身をもっていらっしゃるので、とにかく見ることはできるのです。その内的な内容、内情は分からないけれども、とにかく見ることができるのです。刺激的です。私たちは肉身をもっていますから、肉身をもたないと刺激的でないのです。

 先ほど話したように、神の心情を知らしめるために、いろいろな人を通して私たちを苦しめたり、あるいは喜ばせたりするのです。それを、その人自身がそうするのだと考えるなというのです。その人を通じて、こんなときに神がこのように苦しまれるのか、あるいは喜ばれるのかと知るのです。つまり、「私もこういう場合に、こういうように苦しみ、あるいは喜ぶのだ」ということを知らせてくださるのです。

 ですから、すべての人は神の心情やメシヤの心情を知らせてくれるメッセージをもってきてくれる人だと考えればいいのです。そうしない限りは、神の心情はとても分かりきれないのです。あるいは植物、動物を通じてでも、神の心情が分かるのです。それは象徴的、形状的ですが……。そういうことを通じて、神を知らせることができるのです。ですから旧約時代には、神は火のように、風のように、海のようにというように流体です。流れるというのは、はっきりした形がないのです。風が吹く、そんな中にあって、み言(ことば)が聞こえるのです。神は、そのように光の中にも現れるのです。

 今は実体の時代ですので、人を通じて、兄弟を通じて私たちに伝えてくれるのです。ですから人は、神の使いであり、天使のようだということも言えます。天の使い人だというのです。人なのに天使だというのです。すべてをそのように考えてほしいのです。

 私が苦しいと考える前に、このように神は私のことで苦しんでいらっしゃるのだ、あるいは人類のことでこのように苦しんでいらっしゃるのだと、その程度を知ることができるのです。

 私たちにおける信仰の成長の度合いに応じて、映る神の心情が違うのです。信仰が幼い時には、神はいつも栄光の中にいる神として映りました。しかし、成長してみれば、そうではないのです。本当に苦労されている神であるということが分かるのです。

 幼い時には、子供は親に対して、「親はいいなあ、私も大きくなったら親のようになりたい」と思うのです。ところが成長すれば、本当に親というものは惨めなものであると、だんだん知ってくるのです。それと同じように、成長すれば、私たちの信仰の程度によって、神の心情も次第に深まってくるように感じ、また知るようになるというのです。

 ですから、苦しい時、つらい時、忍び難い時があるとすれば、それ自体を、神の心を私に知らせるためにそうなのだと考えるのです。良いことをしたあとは、うれしいのです。私たちが神の前に良いことをしたならば、神はこんなに私のことでうれしがられるというのです。それを知らせてくれるのです。

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 次回は、「兄弟の証しを聞くことの大切さ」をお届けします。


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