2023.10.13 22:00
【テキスト版】
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第158回 進化論はどのようにつくられたのでしょうか?
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回は「進化論はどのようにつくられたのでしょうか?」という質問に対してお答えします。
チャールズ・ロバート・ダーウィンは、1809年にイングランドに誕生しました。
医師で投資家だった父と、母のもと、6人兄弟の5番目の子供として生まれました。子供の頃から博物学的なことを好み、8歳の時には植物、貝殻、鉱物の収集に夢中になっていたようです。
父から教役者(キリスト教会の指導者)になることを勧められ、英国ケンブリッジ大学の神学部で学び、将来は教役者になるというコースでした。
しかしダーウィンは、神学を学べば学ぶほど神の存在や神の創造が分からなくなりました。
そこで彼は教役者の道を諦め、博物学者・生物学者への道を選びました。そして世界を回って生物を観察するようになりました。
南米のガラパゴス諸島で進化論がひらめいたといいます。
ガラパゴス諸島の島々で生物を観察していた彼は、種(しゅ)は島々で変化していることに気付きました。
フィンチ(ヒワ)という鳥を観察したところ、くちばしの形が島ごとに異なっていました。ある島のフィンチは固い木の実をかじっていて、そのくちばしはペンチのようにずんぐりとしていました。
別の島のフィンチは虫を食べていて、そのくちばしは、ほっそりととがっていました。
また、ゾウガメを観察してみると、いつも下を向いてコケ類を食べるゾウガメもいれば、首を伸ばしてサボテンをかじるゾウガメもいました。
このように、ダーウィンが5年にわたる航海と調査をもとにしたためたのが『種の起源』です。
『種の起源』は、簡単に説明すると「地球上にはさまざまな生物・種が存在しており、それは絶えず生存を続け、進化し続けるものだけが生き延びる」といった内容です。
すなわち、ダーウィンは「種は変化する」という考えを発展させて、「進化論」を提示しました。
そして「人間は猿から進化し、アメーバから進化した」と主張しました。
しかしダーウィンが観察したのは、種の中での変化であり、ある種が別の種に変わったわけではありません。
ダーウィンは種が環境に適応した現象を拡大解釈して進化論を提示したのです。
ダーウィンは結局、創造主である神を否定し、自然をあたかも創造主のように仕立てたといえます。
自然界に創造の力があるのでしょうか。
自然界は、動物、植物、鉱物から構成されています。
動物には本能的な習性があるだけで、人間のような発展的な創造性はありません。
植物は動物と違って自由自在に動き回ることはできません。上や横などに向かって成長し伸びるだけ、繁殖するだけで、新しいものを造ることはありません。
鉱物はじっとしているだけです。従って、自然界には神や人間の持っているような創造性はありません。
自然選択は、多くの変異のうちでどれが生存に適しているかを判定するだけですが、ダーウィンは自然選択の機能を不当に高めているのです。
このように、ダーウィンは進化論を発表し、現代生物学に影響を及ぼしましたが、創造主である神を否定し、自然選択をその位置に置こうとした誤った判断、誤った理論展開を行ったのです。