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小さな出会い 2

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「小さな出会い」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭の中で起こる、珠玉のような小さな出会いの数々。そのほのぼのとした温かさに心癒やされます。(一部、編集部が加筆・修正)

天野照枝・著

(光言社・刊『小さな出会い』〈198374日初版発行〉より)

お化けが怖いの

 3歳の娘は、このごろお化けが怖いのです。夜、ガタガタと風が窓ガラスをふるわせたりすると、自分もふるえる声で「あれは何でしょ?」と言います。

 「あれは、ただの風よ」

 「……パパはまだ、お仕事?」

 どうもママと1歳の弟だけでは頼りにならないらしく、しきりに父親の帰りを待ちます。

 やさしそうな外見に似合わぬ意地っ張りなので、つい「そんなことをする子には“来るかな”……」と、意味ありげに言うと、突然おとなしくなります。これは便利とばかり、少しそれを使いすぎてしまい、ある日とても後悔しました。

 誰もいないドアの所を指さして、怯(おび)えた目で凝視しながら、「来たよ、そこにいる、恐いよー!」と泣くのです。思わず私もゾーッ。怖いよ、と言いたくなりました。この子、霊でも見えるんじゃないかしら?

 「ねえ、ウルトラマン呼んでよ、お化けやっつけちゃう」

 ウルトラマンや仮面ライダーは、救い主の象徴です。お隣の坊やのお面を借りて、彼女は急に強くなり、体をななめに構えて「チュヨイゾ!」。でも、お面はすぐに取り返され、それから娘の、初めての自発的なお祈りがされました。

 「神様、大好きですから、どうぞお化けがこないようにしてください」

 私はキリストの聖画を指さして、

 「ウルトラマンより強い方よ、えみちゃんが呼べばすぐに助けてくださるの」

 と言いました。

 「すぐ?」

 「すぐよ」

 「ママもお化けやっつけてもらったの?」

 ——子供に主の話をする時ほど、謙虚にさせられる時はありません。親は、自分が真実、世のすべての妖怪(ようかい)と自らに巣くう妖怪とを、主によって退治しているかと鋭く問われます。幼い子に、主を教えようとする時ほど、焦りにも似た気持ちで魂の飛翔(ひしょう)を願う時はありません。

 まだ生まれない子供たちがたわむれている、彼方(かなた)の世界より、夫と私を親と選んでやってきてくれた魂のいじらしさを思う時、“ああ、本当の親の姿に、何と遠い自分だろう”と、しみじみと悔い改めさせられます。

 「あずかれる宝にも似て吾子(あこ)ながらわが腕(かいな)おそれつつ抱く」と、美智子妃殿下(現・上皇后陛下)が、浩宮様(現・天皇陛下)をお生みになって詠(よ)まれた歌を思い出し、子を育てる母の心はそうなくてはならない、と考えさせられました。子供を自分と同一視してしまいがちなのが母親です。それで神様は、聖別された重要人物が必要な時には、その母親を、長い間子供が生めない石女(うまずめ)にされたのでしょう。サムエルを生んだハンナのように。

 珠玉のような命の価値を知ったら、もっと高く、もっと広く、もっと深く生きたくなるでしょう。私の命もまた、神からあずかった宝なのですから。

 娘よ、あなたがお化けを怖がったのは、私のためにだったのでしょうか? いろいろ考えさせてくれてありがとう。新しく生き直さなくては、と思います。

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 次回は、「メロンの思い出」をお届けします。