2023.09.24 17:00
真の父母様の孝情を学ぶ 15
「犠牲」の真の意味を胸に抱いて
『ムーンワールド』で連載中のコーナー、「真の父母様の孝情を学ぶ」を隔週日曜日(予定)でお届けします。
韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁(真のお母様)の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』からの抜粋をイラストとともにつづるコーナーです。
今回は、「『犠牲』の真の意味を胸に抱いて」(96〜98ページ)からの抜粋です。
母が統一教会に正式に入教したのは、1955年12月15日のことです。翌56年の初めに鳳儀(ポンイ)小学校を卒業した私は、数えでは14歳になっていました。
暖かな日差しが降り注ぐある日、母が私に言いました。
「ソウルに行ってこよう」
私はなぜ行くのかも分からないまま、母についてソウルに向かいました。その日、青坡洞(チョンパドン)教会で初めて文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁にお会いしたのです。板塀で囲われ、小ぢんまりとした二階建ての日本家屋は、教会というより、住居と呼ぶにふさわしいものでした。私は、初めてお目にかかる文総裁に、丁寧に御挨拶をしました。挨拶を受けた文総裁が、母にお尋ねになりました。
「この子は?」
「私の娘です」
文総裁は非常に驚かれた様子でした。
「こんなにかわいい娘がいたんだね」
そしておもむろに目を閉じ、しばらく瞑想(めいそう)された後、私の名前をお尋ねになりました。私は恭しくお答えしました。
「韓鶴子(ハン・ハクチャ)と申します」
すると文総裁が、誰に言うでもなく、驚いたようにつぶやかれたのです。
「韓鶴子が韓国の地に生まれた。韓鶴子が韓国の地に生まれた。韓鶴子が韓国の地に生まれた」
母は不思議そうな顔をしていました。
「なぜだろう、私の娘に関して、全く同じ言葉を3回も繰り返されるなんて」
文総裁は、さらにまた、独り言のように、感謝の言葉を口にされました。
「韓鶴子という、このように素晴らしい女性を韓国に送ってくださったのですね。ありがとうございます」
文総裁は、私に念を押すように話されました。
「韓鶴子、これから犠牲にならなければね」
「……はい!」
列車に乗って帰る道すがら、私は「犠牲」という言葉の意味をじっと考えました。文総裁のおっしゃった「犠牲」は、教科書で覚えた「犠牲」とは明らかに違うものでした。より深い意味の犠牲、より高潔な犠牲、より完全な犠牲のことをおっしゃっているのだと思いました。どのようなものを犠牲にするかも大切ですが、それが何のための犠牲であるかが、より重要なはずです。
その日から「犠牲」という言葉が、私の中で一つのテーマとして刻まれました。あとから考えてみると、「犠牲」とは、平和の母として生きるべき私のもう一つの名前だったのです。
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次回は、「神様がもうすぐ私を訪ねてくださるだろう①」をお届けします。