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真の父母様の孝情を学ぶ 15
「犠牲」の真の意味を胸に抱いて

 『ムーンワールド』で連載中のコーナー、「真の父母様の孝情を学ぶ」を隔週日曜日(予定)でお届けします。
 韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁(真のお母様)の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』からの抜粋をイラストとともにつづるコーナーです。

 今回は、「『犠牲』の真の意味を胸に抱いて」(9698ページ)からの抜粋です。

 母が統一教会に正式に入教したのは、19551215日のことです。翌56年の初めに鳳儀(ポンイ)小学校を卒業した私は、数えでは14歳になっていました。

 暖かな日差しが降り注ぐある日、母が私に言いました。

 「ソウルに行ってこよう」

 私はなぜ行くのかも分からないまま、母についてソウルに向かいました。その日、青坡洞(チョンパドン)教会で初めて文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁にお会いしたのです。板塀で囲われ、小ぢんまりとした二階建ての日本家屋は、教会というより、住居と呼ぶにふさわしいものでした。私は、初めてお目にかかる文総裁に、丁寧に御挨拶をしました。挨拶を受けた文総裁が、母にお尋ねになりました。

 「この子は?」

 「私の娘です」

 文総裁は非常に驚かれた様子でした。

 「こんなにかわいい娘がいたんだね」

 そしておもむろに目を閉じ、しばらく瞑想(めいそう)された後、私の名前をお尋ねになりました。私は恭しくお答えしました。

 「韓鶴子(ハン・ハクチャ)と申します」

 すると文総裁が、誰に言うでもなく、驚いたようにつぶやかれたのです。

 「韓鶴子が韓国の地に生まれた。韓鶴子が韓国の地に生まれた。韓鶴子が韓国の地に生まれた」

 母は不思議そうな顔をしていました。

 「なぜだろう、私の娘に関して、全く同じ言葉を3回も繰り返されるなんて」

 文総裁は、さらにまた、独り言のように、感謝の言葉を口にされました。

 「韓鶴子という、このように素晴らしい女性を韓国に送ってくださったのですね。ありがとうございます」

 文総裁は、私に念を押すように話されました。

 「韓鶴子、これから犠牲にならなければね」

 「……はい!」

 列車に乗って帰る道すがら、私は「犠牲」という言葉の意味をじっと考えました。文総裁のおっしゃった「犠牲」は、教科書で覚えた「犠牲」とは明らかに違うものでした。より深い意味の犠牲、より高潔な犠牲、より完全な犠牲のことをおっしゃっているのだと思いました。どのようなものを犠牲にするかも大切ですが、それが何のための犠牲であるかが、より重要なはずです。

 その日から「犠牲」という言葉が、私の中で一つのテーマとして刻まれました。あとから考えてみると、「犠牲」とは、平和の母として生きるべき私のもう一つの名前だったのです。

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 次回は、「神様がもうすぐ私を訪ねてくださるだろう①」をお届けします。


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