2023.09.26 12:00
スマホで立ち読み Vol.27
回顧録『愛あればこそ』1
久保木哲子・著
スマホで立ち読み第27弾、回顧録『愛あればこそ』を毎週金曜日(予定)にお届けします。
久保木修己・家庭連合初代会長の夫人である久保木哲子さん(430双)が、2023年9月18日に聖和されました。故人の多大な功績に敬意を表し、著作である『回顧録 愛あればこそ』を立ち読みでご紹介いたします。
---
プロローグ
約50年ぶりに訪れた母の実家がある長野県上田市の越戸(こうど)には、「さるすべり」の赤い花が咲いていました。2014年7月のことです。
「さるすべり」というのは「猿滑り」ではなく、「百日紅」と書きます。木の肌は松やブナのようにごつごつしたものではなくて、それこそワックスがけしたような表面で、すべすべしています。木登りをお手のものとする猿もツルッと滑るイメージの「猿滑り」とは、よく言い得て妙なのですが、漢字で書くと「百日紅」となるのです。
初夏の6月あたりから9月まで3カ月以上も咲き続けます。だから「百日紅」と書くそうです。「さるすべり」の読みは木から、「百日紅」の名前は花から取ったわけですが、「百日紅」と書いて「さるすべり」と読むあたりが、いかにも和の精神を感じさせ、日本的だとつくづく思います。
線香花火を見ると、いつも想起するのがこの「百日紅の花」です。線香花火の火花は、夏の暑い太陽に照らされて弾けるような「百日紅」の花に似ています。ただ、線香花火は夏の夜を彩りますが、「百日紅」は真夏の抜ける青空と入道雲によく映える花です。
線香花火は“一瞬の花”です。それゆえのはかなさと可憐(かれん)さが同居する美しさがありますが、「百日紅」は百日も咲き続ける強さがあります。私は線香花火の可憐さを永続させようとしているような「百日紅」に、生き方への指針を教えられます。
長い人生も、宇宙の歴史から見れば瞬(まばた)きにも満たない、一瞬の出来事です。
そのはかないはずの私の人生を、夫は永遠の輝きの中に招き入れてくれました。
病に冒された幼い私を療養のため上田の実家まで送り届けてくれた母、「アルプスの少女ハイジ」ならぬ「上田の少女ハイジ」として雄大な大自然の中で抱くように育ててくれた祖母、それに静かな父や元気のいい兄弟など、人生にはかけがえのない人々の支えがあって、私そのものの存在が初めてあるのですが、何よりも久保木修己という夫なくして、私の人生はあり得ませんでした。
晩年、病に伏した夫はしきりに「ママ、ありがとう。すまないなあ」と言っていましたが、私こそ心底、「パパ、ありがとう」と言いたい気持ちです。
満州生まれの久保木は銀行員であった父親の転勤とともに満州各地や北京で過ごし、戦争が終わった1945年に引き揚げてきます。
慶應義塾大学に在学中、立正佼成会に入教し、庭野日敬(にっきょう)会長の秘書を務めますが1962年、同教団で輝かしい将来を約束された立場を捨て去り、当時、少人数の信徒しかいなかった世界基督(キリスト)教統一神霊協会(統一教会)に入教します。
1968年に発足した国際勝共連合の初代会長に就任した夫は、1970年に韓国の朴正煕(パㇰ・チョンヒ)大統領と青瓦台(チョンワデ)で会見し、反共活動への協力を仰いだ上で同年9月、日本武道館でWACL(世界反共連盟)世界大会を開催しました。
翌年、中華民国の蒋介石総統と会談し、ローマ法王パウロ6世に謁見(えっけん)。1973年には「救国の予言」と題して、共産主義の脅威と危機の本質を訴え、全国124カ所での巡回講演で、愛国者や憂国の志士たちを奮起させました。
「孤掌(こしょう)鳴らし難し」と言います。
孤掌、すなわち一つの掌(てのひら)だけでは音は出ませんが、夫と二人三脚で歩んだ歳月は忘れがたく、私への最大の遺産です。
2015年4月 久保木哲子
---
次回は、「病弱な長男」をお届けします。