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シリーズ・「宗教」を読み解く 284
キリスト教と日本(63)
宣教と奉仕の人、ゼノ修道士

ナビゲーター:石丸 志信

 1930年4月、コルベ神父と共に来日したゼノ・ゼブロフスキー修道士は、以来52年間日本の宣教と奉仕に生涯をささげた。
 黒い修道服に黒いカバンを下げ、白いひげを蓄えた修道士。戦後は戦災孤児や恵まれない人々の救援活動に全力を傾け、「蟻(あり)の街の神父」として多くの人々から親しまれた。

▲ゼノ・ゼブロフスキー修道士(ウィキペディアより)

 ゼノ修道士は、コルベ神父と同じポーランドの出身。34歳の頃にコンベンツアル聖フランシスコ修道会に入会し、4年後に修道誓願を立てる。この修道院で彼の生涯の師となるコルベ神父と出会う。

 ある時、ゼノ修道士はコルベ神父に「あなたは殉教する気持ちがありますか」と問われ、即座に「あります」と答えたという。そして、彼らは共に日本宣教に旅立つことになった。

 長崎に上陸したコルベ神父、ゼノ修道士、ヒラリオ修道士の3人の宣教師は、まず大浦天主堂に詣で、信徒発見のきっかけとなった聖母子像の前で祈った。
 彼らの胸に、長き弾圧・迫害の歴史を経てきた長崎キリシタンたちの苦悩と喜びが思い起こされたのかもしれない。

 ゼノ修道士はコルベ神父を支え、『聖母の騎士』誌の発行を通した宣教活動に心血を注いだ。
 コルベ神父がポーランドに帰国してからも、彼の活動は続いた。194589日、長崎で被爆するも、戦後は精力的に戦災孤児や恵まれない人々の救援活動に尽くしていく。

 東京の修道院に移ったゼノ修道士は、当時、墨田区の一画にあった廃品仕切場、通称「蟻の街」で廃品回収を生業(なりわい)とする人々の支援活動を行った。
 その働きはマスメディアにも取り上げられ、全国に知られるようになった。しかし世間の評価がどうであれ、ゼノ修道士の言動は変わることなく、ただ己の信じるとおり、神様の愛を人々に示すための働きを続けていった。

 純朴な修道士の姿に感化を受け、「蟻の街」に住人の中から洗礼を受ける人々が現れ、そこに教会が建つまでになった。
 「障がいのある子どもたちの楽園をつくりたい」との彼の願いに、多くの人が賛同協力して1962年には広島県内に社会福祉法人「ゼノ」少年牧場が創設された。

 「マリア様、祈ってください」「かわいそうな人のため、祈ってください」
 聖母マリアの御絵(ごえ)を配り、神様の愛を説きながら、慈善活動を続けていく修道士の姿は戦後の復興期に生きる人々の希望となった。

 1981年2月に来日した、ポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はゼノ修道士を見舞い、長年の宣教活動に敬意を表し母国語でねぎらいの言葉をかけた。
 翌年、ゼノ修道士は地上の生活を終え天に帰っていくが、その日はちょうど彼がコルベ神父と共に来日した52年目の記念日だった。



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