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【テキスト版】
ほぼ5分でわかる人生相談Q&A
幸せな人生の極意!

第154回 進化論の弱肉強食という考えは間違っているのではないですか?

ナビゲーター:阿部美樹

(動画版『ほぼ5分でわかる人生相談Q&A』より)

 皆さん、こんにちは!

 今回は「進化論の弱肉強食という考えは間違っているのではないですか?」という質問に対してお答えします。

 進化論では、世の中は「食うか食われるか」「生きるか死ぬか」という闘争が繰り広げられている弱肉強食の闘争の世界であると主張します。

 このような考えが広まった結果、権力や財力、腕力など、力の強いものが勝って当然と考えるようになりました。
 その力に従うことによって、「損得勘定」や「利害感情」で物事を判断しがちになります。

 しかし、「真実なるもの」「真理なるもの」「正義なるもの」「愛なるもの」が勝る世界が本来の世界ではないでしょうか。

 ところで、自然界は本当に弱肉強食の世界なのでしょうか?

 小さいものは大きいものに食べられていますが、それで小さなものが滅びるわけではありません。
 小さいものは多く繁殖し、大きいものは少なく繁殖し、全て滅びないようになっています。

 また、小さいものは大きいもののために犠牲になっているといえます。
 小魚は大魚に食われ、虫は小鳥に食われ、小鳥は鷲に食われ、鷲は狐に食われるのです。

 上位のものが下位のものを土台にしなければならないというのが自然界の法則です。
 しかしそれは、単なる犠牲ではありません。犠牲になりながらも、より大きなものをつくっているのです。

 そして生物は、究極的には人間に吸収されることを願っているのです。

 いかなる存在も二重目的を持っています。例えば、植物はそれ自体の目的を果たすために実を結んで種子をつくるという平常の道だけでなく、動物に食べられるなど自分を犠牲にする道をたどることもあります。

 このように、万物は小さなものは大きなものに吸収されていきます。
 これを「弱肉強食の闘争理論」ではなく、より価値あるもの、より次元の高い愛へと上昇する「愛の吸収論理」ということができます。

 弱い者が強い者と一体化することによって、さらに高い愛のレベルが生まれるのです。
 そして最後には、愛の根源である神の最も近い愛を受ける位置へ進むのです。

 神は愛を動機として「愛の理想世界」を創造しました。ですから、「強い者が勝る」世界というよりも、「愛ある者が勝る」世界を願いました。

 神は真の愛をモデルとして万物世界を造りました。
 人間は万物を通じて真の愛を学ぶことができるのであり、万物は愛の教科書ともいえます。

 例えば、サケの中に理想的な夫婦のイメージが見られます。
 雄と雌のサケは、どちらも共に川を上がり産卵の場所まで泳いでいこうとします。
 彼らがはるばるそのような旅をする目的は、卵を産むということです。

 そして夫婦は、卵を産む川底を掘り始めます。産卵の間、雄は雌を守るようにその周りを泳ぎ回ります。
 やがて彼らの皮膚の色と筋肉の色が変化し始め、そして卵を産むという使命が完遂された後は、彼らは命をささげて死んでしまいます。

 彼らの体はやがて腐敗し、そして卵からかえったその小さな魚のための飼料となるのです。
 これが彼らの運命ですが、卵を産むことによって繁殖することに成功します。それは、愛のためにあるというのです。彼らは恐れることなく、共にその運命に向かって進んでいきます。
 これは本当に美しいことです。

 このように、自然は全て、人間が理想的な愛を実現するための愛の標本であり、愛を教示する教材、すなわち「愛の自然博物館」です。
 自然界は愛を中心に調和した世界です。ですから、進化論の弱肉強食の力の理論は間違いです。

 チャールズ・ダーウィンは、弱肉強食という論理を提唱して、力を持って世界を支配して新しい文化圏を形成することを正当化させました。
 真の愛の論理によって再解釈されなければなりません。


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