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シリーズ中級講座 37
夜の神様、昼の神様<3>

 世界家庭誌で2021年11月号から2022年12月号までの期間に掲載された「中級講座シリーズ」の内容を、「シリーズ中級講座」のタイトルで毎日朝5時にお届けすることになりました。信仰生活の向上、毎日のみ言学習にお役立てください。

伝道教育局副局長
入山 聖基

昼の神様の世界

 被造世界のベースにある原理原則が、創造原理です。そのデザインの根本は、性相と形状の二性性相、陽性と陰性の二性性相という二つの二性性相の組み合わせです。その中心に人間がいます。

 人間には男性と女性がいて、被造世界には霊界と地上界があります。つまり、一人の人間は、男性あるいは女性として生きるという宿命と、「死」によって限られる時間の中で生きるという宿命を背負っているのです。

 宿命とは、自らの意思にかかわらず与えられるもので、避けて通ることはできません。生まれる前から決まっている「定め」なのです。人間は、与えられた環境で生きていかざるをえません。光や空気がなければ生きられず、毎日、動物や植物の犠牲のもとで食べ物を得なければ生命を維持できません。そして、性別、肌や目の色、父母や氏族、民族や国家など、全て与えられたところから人生が始まります。

 それらは、親なる神様が、子女である人間を愛するがゆえに与えてくださった環境です。人生の基本姿勢は、天が私たちを生かそうとして与えてくださった環境に感謝して生きることです。その「恩」を忘れないで生きていくことが大切です。

 堕落した人間は、神様のことを忘れ、自らの命や個性、置かれた環境が、神様の愛によって与えられたことを忘れてしまいました。そのため、不平や不満、恨みを抱いて生きるようになったのです。このままでは、神様の愛を相続して生きる道がありません。

 創造の原理を理解すれば、幸福に生きるとはどういうことか分かってきます。もし、私たちが抱く、幸福な人生のイメージが、何の苦痛もなく、試練や壁もないものだとしたら、それは、“大いなる勘違い”ということになると思います。幸福とは、困難がないことでは決してありません。「生きる」ということそのものが、さまざまな制約や試練、壁に立ち向かって生命を燃やすことなのです。それは、自然界の動植物を見ても学ぶことができます。

 皆さんは、南極に生息するコウテイペンギンをご存じですか? その生態は実に壮絶です。彼らは冬になると、短い足でよちよちと歩きながら海岸から内陸まで約100キロを2か月かけて大移動します。そこは、気温マイナス60度で、風速60メートル毎秒のブリザードが吹きつける白い闇(ホワイトアウト)の世界です。そこで一夫一婦のパートナーとなると、互いにおじぎのようなしぐさをすることもあります。一万羽もの群れの中でも、相手を間違えることがありません。

 彼らは一冬に卵を一つだけ授かります。オスはその卵をメスから預かり、メスは海へエサを獲りに行きます。オスは、メスが帰ってくるまでの約2か月、足の上で卵を温めます。オスは4か月もの間、絶食を続けることになります。このため、体重は約半分になります。もし凍っている地面に卵が触れれば、瞬く間に凍りついてしまいます。

 メスが帰ってくる頃、ひながかえります。メスは胃の中に蓄えてきたエサをひなに全て与え、オスは絶食したまま海へ行くのです。いちばん苛酷な冬に卵を産むのは、短い夏の季節にひなを育てるためです。正に命懸けの子育てです。動物の世界においても、命懸けの親の犠牲の中で、新たな命がつながっているのです(参照・稲垣栄洋著『生き物の死にざま はかない命の物語』草思社文庫1222ページ)。

 「産苦(出産の苦痛)に直面するお母さんたちが、その時間を迎えるときには生死を懸けて全力投球するのです。……動物の世界を見ても、水中の魚、空の鳥、山の獣を見ても、そうです。それらが自分の子孫を残すために努力し、また息子、娘を守るために死生決断をしているのを見ながら、万物の主人になろうという私たちが全力投球、死生決断するならば全て終わるのです」(第45回「真の神の日」敬礼式、『トゥデイズ・ワールド ジャパン』20123月号12ページ)

 自然界には、過酷な環境で壮絶な闘いをして生きる動物がいます。それらには共通の目的があります。「わが子を生かし、後孫を残す」ということです。ここに、私たちの人生に通じる真実があります。何の苦労や試練もないことが幸福なのではないのです。もし、皆さんがそのような幸福像を持っているとしたら、それは、統一原理の教えではありません。むしろ、人生の価値を引き下げる可能性すらあります。

 与えられた環境、限られた時間の中で、いかなる苦痛を伴ったとしても、わが子を生かすために完全投入していく、そこに愛の真実があります。お産の苦しみも、神の創造の苦労を追体験し、神の心情を体恤(たいじゅつ)するための試練として与えられているのです。

 私たちが目指すべき人生の豊かさ、幸福とは、一方的に与えられたり、壁がなくなったり、苦痛がなくなったりすることではありません。すでにあるもの、与えられているものに感謝することなのです。苦労しながら注ぐ愛に価値があります。それこそが、人生の真実であり、たとえ私たちが死んで見えなくなったとしても、世代を通じて残っていく、消えることのない真の愛なのです。

 「心の世界は焼かれません。心を焼くことができますか? 真の愛は、心の根っこであり、心の相対たる根っこなので、真の愛は億万度の火の中に入っても、焼けないのです。ですから、その焼けないみ言も、億万度の火で焼いても焼けません。焼けたとしても、何倍も強固なものが出てくるのです。先生のみ言は火で焼けません。原子爆弾でも、水素爆弾でも焼けません」(第20回「七・一節」および第14回「七・八節」のみ言、『トゥデイズ・ワールド ジャパン』201010月号6ページ)

 生涯をかけて「夜の神様、昼の神様」の真の愛を実践し、人類を創造本然の姿に生み変えて生かすことに精誠を尽くされた真の父母様の真の愛は決して消えてなくなりません。そして、真の父母様を信じて世界人類の幸せのために自らの命を燃やし投入した、食口(シック)の皆さんの真の愛も消えてなくならないのです。

 私たちの心の中に生き続ける“私の神様”を、誰も奪うことはできないのです。