2023.09.05 22:00
信仰は火と燃えて 8
「名古屋のサタンの首落ちたり」
「信仰は火と燃えて」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。
教会員に「松本ママ」と慕われ、烈火のような信仰を貫いた松本道子さん(1916~2003)。同シリーズは、草創期の名古屋や大阪での開拓伝道の証しをはじめ、命を懸けてみ旨の道を歩んだ松本ママの熱き生きざまがつづられた奮戦記です。
松本 道子・著
「名古屋のサタンの首落ちたり」
講義の約束ができた喜びをさっそく金ばあさんに報告すると、金ばあさんも一緒に喜んでくれました、40日の最後に与えられた大切なチャンスにどんな講義をするか、集まる人たちのことを考えながら、夜もすがら祈り考えました。
私は、クリスチャンにはぜひ救世原理を語りたいと思いました。そこで、そう心に念じながら「天のお父様、あす3人のクリスチャンに救世原理を語ります。イエス様の十字架問題とその悲しい心情を訴えたいと思いますから、どうぞ私の唇を聖(きよ)めて、あなた自ら語ってください」と必死で祈ったのです。
一晩中、あまりにも真剣に祈ったので、翌朝には唇が乾ききって皮がむけ、血がにじみ出ていました。黒板をさげてバスに乗り、春堂さんの家に着くと、約束どおり3人の婦人が待っていました。待ちに待ったこの日、私は「天のお父様、よろしく頼みます」と祈りながら、細心の注意を払って真剣に救世原理を語りました。
イエス様のゲッセマネの心情を訴え、そしてイエス様を遣わしてこの地上に神の国をつくろうと4000年間待ち続けてこられた神様の歴史的心情を訴えました。そして最後に「十字架にかかりしイエスを見よや」という聖歌を涙ながらに歌うと、聴いている3人の婦人も共に泣き、私の話に共鳴してくれたのです。
私は、彼女たちが感動してくれたことがうれしくて、この喜びをどう表現していいか分からず、お手洗いで涙をぽろぽろ流しながら、天に感謝の祈りをささげました。
次は、人間の原罪は何かという罪の問題を扱った堕落論の講義をしました。ここで彼らの心の中に、はっきりとした問題意識をもたせなければと思ったのです。ところが、講義が終わりに近づいたころ、不思議な女が来て不思議な話をしているといううわさを聞いて、竹内みつゑさんという婦人が、3人の赤ちゃんを連れてやって来ました。
この婦人はとても熱心なクリスチャンで、途中からでしたがそばへ来て、じっと話を聴いているのです。そして、最後に締めくくりとして、人間の罪の根、原罪は淫行(いんこう)にあると結論づけると、彼女はかみつきそうな顔をして怒り出しました。
「どこの聖書に、原罪が淫行だと書いてあるんですか。私はクリスチャンとして10年間信仰を守ってきましたが、淫行のことなど思ったことがありません。とんでもない話です。あなたは異端です」と、私にくってかかるのです。せっかく苦労してここまで講義が進んできたのに、あとから来て水を差すものですから、私は「ああなんということだ」と、失望のどん底に落ちてしまいました。そして、怒るまいと思ってはいたのですが、ここでかき回されてはたまらないと思うとつい、むっとして、「あなたは途中から入ってきたのではありませんか、初めから聴かないで、これは間違っていると結論を出すことはできないでしょう」と言い返してしまいました。
そうなると、竹内さんも私に劣らず勝ち気な人ですから、その場で激しい口論が始まりました。そして、「このままではがまんできません。このまま退くことはできません。初めから聴かなければ分からないというなら、初めから聴こうではありませんか」と言い出したのです。けれども春堂さんは、自分は約束どおり聴いたので、もう自分の家ではやらないでほしいと言います。そこで竹内さんの友達の家に行くことにしました。
私は口論しながら、この人は最初から聴けばきっと分かると思ったので、黙ってついていきました。着いた所は、大野幸子さんという人の家で、そこで翌日の講義の約束をしました。あすは最初の創造原理からやろう。私は講義の約束がとれたのがうれしくて、興奮して金ばあさんの家に帰って行きました。
翌日、大野さんの家に行くと、8人くらいの人が集まっていました。竹内さんはきのうの話に憤慨し「とんでもないことを言う人が来ました。皆さん話を聴いてみましょう」と、仲間のクリスチャンに呼びかけ集めていたのです。私はドキドキしながら、ただひたすら天のお父様にお願いして「どうか最後まで聴いてくれますように」と祈って講義を始めました。
神様を実証的に証(あかし)し、本来の神様と人間との関係を解く創造原理から始めて、クリスチャンが最も関心をもっている復活論まで、私は機関銃のように一気に語りました。舌が腫(は)れてよく回らなくなっても、跳んだり歩いたり、体中で表現しながら、涙を流し、汗を流しながら語り続けました。
聴く人たちも、御飯を食べずに聴いていました。彼女たちにしても、講義の内容にびっくり仰天して、食べることも忘れるほどだったのです。そして、夜には人が13人に増え、気がついたら夜中の1時でした。
そこで、いったん講義をやめて寝ることにしました。その時には、もう貧血で倒れそうでした。意識ははっきりしているのですが、ふらふらするのです。それでも、興奮しているため全く眠くないという状態でした。
その日はちょうど、開拓を始めて40日目でした。あと1日か2日したら、もう東京に帰らなければなりません。そこで、最後に終末論だけは話しておきたいと思いました。終末には、天変地異が起こり、日と月が光を失って星が天から落ちると聖書には書いてあります。クリスチャンたちは、イエス様が、雲に乗って再臨される時だと信じてきました。その終末について、聖書に書かれている内容が何を意味するものなのか、この婦人たちに伝えたいと思ったのでした。
「もし再臨の主が雲に乗ってアメリカに来られたとしたら、日本では見えません。また、東京に現れたとしても、名古屋では見えないでしょう。せっかく待ってきたのに会えなかったら、これほど残念なことはないでしょう。主が雲に乗ってどこへ来られるのか。星が落ちるとはどういうことなのか。聖書の中の神様の言葉が何を意味しているのか知りたくありませんか。私はもう東京へ帰らねばなりません。どうか最後にこの終末論だけ聴いてください」
と必死で頼むと、彼女たちも終末論には関心がありますから、ぜひ聴かせてほしいということでした。
翌日、今度はそこにいた13人の中の一人、松本静永さんの家で講義をすることになったのです。
「終末には太陽と月が光を失い、天変地異が起こるといわれていますが、これは宇宙が滅びるという意味ではありません。神様がつくったもので人間以外は何一つ堕落していません。それなのにどうして全知全能の神様が、創造本然の神様の願いのままの姿をしている森羅万象を滅ぼすことがあるでしょうか。そんなことをしたら失敗の神様になってしまいます。『世は去り、世は来たる。しかし地は永遠に変らない』と聖書にはあるではありませんか。
終末は歴史的に見ると善悪の交差点に当たります。現代はまさにその終末の時で、科学文明も進み、民主主義が発達し、主の再臨の準備はととのっています。あとは再臨主を迎え、善の実体であるその方を中心として、悪を滅ぼし、天国の建設が始まるのです」
今までとは全く違う観点から、希望に満ちた終末の話を聴き、彼女たちは泣いて喜んで、「ハレルヤ、ホザナ」と口々に叫びながら、私の周りに集まってきました。そして、「松本先生、どうぞ行かないで私たちを指導してください」と言って私を引き止め、その中の小牧さんというおばあさんは、まだ開業していない幼稚園を教会として献納してくださいました。そのうえ金ばあさんが来て、娘さんからもらったといって5万円という大金を献金してくれたのです。
40日間、さんざん殴られ、けられて、食べるものも食べず、汗と涙で訴え続け、七転び八起きという言葉のごとく、10回転んでも11回転んでも、最後には立ち上がって、忍耐してきたその実りとして、42日目にして、13人の女性が神様の前に目覚め、立派な教会が与えられ、献金まで与えられて、名古屋に初めての統一教会ができたのでした。
信仰と努力と忍耐が一番問題だと言われた西川先生の言葉を守り、30億人類があなたを裏切っても、私は絶対に裏切りませんと、殉教の精神をもって神様に固く約束した言葉を胸にきざんで、バカにされても水をかけられても、血を流すことがあっても、一分一秒も休みなく、涙で祈り、汗を流して名古屋中の人々に語りかけてきた日々でした。そのド根性を見て、神様は最後に、予定した人、13人に一遍に会わせてくださったのです。この日、私はさっそく西川先生に電報を打ちました。
「ナコヤ(名古屋)ノサタンノクビオチタリ」
すると電報局の人が驚いて、「首が落ちたって、この電文間違っているのではありませんか」と言うのです。私は「間違いありません、そのままで打ってください」と言って打ってもらいました。
西川先生は、大阪にいたのですぐ来てくださいました。もう畳二枚のトタン小屋ではありません。守山の森の中の大きな幼稚園に、「名古屋統一教会」と看板を掲げ、中には13人の神の娘たちがいるのです。
ちょうど9月で、西川先生が着いた時すごい嵐になりました。ピカッ、ゴロゴロッという雷とザァーッという雨の音を聞きながら、その夜はぐっすり眠りました。嵐の中の三日間、私は思いきり寝ました。汚いどんぶりでしたが、小牧さんが冷や麦を愛を込めて作ってくれたので、愛を込めて食べました。その冷や麦のおいしかったこと。
嵐がやんでから、皆で草を抜き、ガラスをふいて大掃除を済ませてから、西川先生の説教を聴きました。その説教で、13人の婦人たちは涙で顔がくしゃくしゃになるほど泣きながら、神様のために働こうと固い決意をしたのでした。
---
次回は、「越えるべき大きな坂」をお届けします。