コラム・週刊Blessed Life 29
高校野球に見るピュアと
プロスポーツに見るダーティー

新海 一朗(コラムニスト)

 高校球児の、興奮するような活躍が甲子園球場で見られる夏は、全国47都道府県の高校野球ファンを魅了する季節です。私もその一人です。

 高校野球のチームは、選手も監督もスポーツマンシップにのっとって、魂のこもった純粋なプレーを見せてくれます。その純粋なものを感じるためでしょうが、「おらが県の代表」ということで、必死になってプレーする選手一人一人に心からの拍手を送るのです。
 負けても「よくやった」と拍手、勝てば「このまま最後まで勝ち進め」と拍手、勝っても負けても拍手です。

 野球に限らず、全国高校選手権大会の名で戦われる各種スポーツは、概して、純粋な精神が溢れていて、観る者たちを感動させるものです。
 「プロ野球ももちろん面白いが、高校野球の興奮は格別である」と言う私の友人がいますが、分かる気がします。おそらく、その理由は「ふるさとへの愛」と「ピュア」ということに尽きるのだと思います。

 一方、大学のスポーツになると、やや、ピュアさを失う傾向が見られると言ったら、大学関係者に怒られそうですが、日大のラグビー部に見られる不祥事は極端な例であるとは言え、不純なものがちらほら見えることがあります。

 さらに、プロスポーツの世界となると、お金というはっきりとした利益が関係各団体に渡る構図があるために不透明感が増し、関係者のさまざまな思惑や欲望が働いて、ピュアが影を潜め、ダーティーががぜん勢いを増すことになります。

 日本ボクシング連盟の山根明会長が終身会長という立場を得て、ボクシングの試合を不可解な判定が当たり前のように行われる世界に変貌させていったことは、本当に残念なことです。
 最高トップの権力が絶対となる所では、矛盾を感じる周辺の人も口をつぐむようになり、そうなると、不条理、不可解が当たり前になるという落とし穴が待っています。

 FIFA(国際サッカー連盟)もIOC(国際オリンピック委員会)もJOC(日本オリンピック委員会)も本当に気を付けなければなりません。
 巨大組織であればあるほど、汚職を免れることが難しく、世界的な問題となっています。決して、スポーツの純粋さが失われることがあってはなりません。