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共産主義問題が分かる 22

 「共産主義」とは一体何なのか? 国際勝共連合のサイトから、共産主義問題や勝共理論が分かるコンテンツをご紹介します! 各回、3分ほどでお読みいただけます。(一部、編集部が加筆・修正)

第四章 日本共産党はどんな政党か?

共産党の歴史-殺人などの暴力的破壊活動を全国展開

■日本共産党の黒歴史-日本で犯した殺人・強盗事件の数々を忘れてはならない

われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない

 戦後に至り、日本共産党が国会で議席を獲得するようになると、革命は暴力的にではなく、民主的に行うべきだとの意見が強まりました。議席を獲得したのだから、選挙で多数を占めることで共産主義を実現しようというわけです。

 ところがソ連がこの方針を否定しました。そして徳田球一氏、野坂参三氏(共に当時は日本共産党の衆議院議員)らをモスクワに呼びつけると、暴力革命路線に徹するよう、路線変更を迫ったのです。

 こうしてできたのが1951年綱領でした。綱領には、「日本の解放と民主的変革を、平和的手段によって達成しうると考えるのは間違い」であるとはっきりと記されました。また第5回全国協議会(195110月開催)では、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」が決定されました。

共産党の方針を受け、鉄パイプを使い警察官を集団で殴り殺す

 こうして全国の共産党員が、「革命を成功させるのは今だ」と考えて多くの暴力的破壊活動を起こしました。たとえば練馬事件(詳細はコチラ)です。練馬警察署のある巡査が、「行き倒れている人がいる」と言われて現場に駆け付け、介抱しようとしたところに10人の共産党員らが襲いかかりました。彼らは鉄パイプなどを使って巡査を殴り殺し、傷害致死罪などで実刑判決を受けました。他にも白鳥警部射殺事件※1)、大須騒擾事件※2)など、多くの事件が発生しました。

 こうした過激な武装闘争路線は、当然国民から非難されるようになりました。そして195210月に行われた衆議院選挙では、共産党の候補者が全員落選しました。当然の結果と言えるでしょう。

 ショックを受けた日本共産党は路線を変更しました。いわゆるソフト路線です。しかしその本質が変わったわけではありません。警察庁が発行する「警備警察50年」には、「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」とはっきりと書かれています。また公安調査庁は、日本共産党を破壊活動防止法の調査対象団体に指定しています。彼らのソフト路線、ほほ笑み路線にだまされてはいけません。


1 白鳥事件…1952121日、札幌市内の路上で、市警警備課長・白鳥一雄さん(当時36歳)が射殺された
2 大須事件…195277日、名古屋市大須で共産党員・在日朝鮮人ら暴徒約1000人が警察や一般車両等を火炎瓶攻撃した


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