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祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂 88
原理に立脚して生きる

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。
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(光言社・刊『祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂』より)

第二章 「統一原理」の絶対価値

第三節 「統一原理」の生活化

(二)「統一原理」の生活化⑤

 統一教会に入ってきてから1年、3年、10年というその期間、自分がどれくらい原理的な立場と強固な基盤の上に立ってきたかという問題が、これからの自分の生涯の価値を輝かせ、生涯の問題を左右するものになるのです。それはなぜでしょうか。原理的な基準に立つことによって、絶対的基準に近づいていくことができるからです。生活基準が原理に一致すれば、そこからその生涯は永遠のみ旨と一致するのであり、その基準に一致した内容によって自分の永遠の生死の問題が左右されるのです。それは、原理を中心として生活することが一つの堅固な基盤になるからです。

 ですから、原理を離れた生活は、この上なく危険です。原理に基づき、原理に歩調を合わせる生活をしたときは、堅固で強固な基盤が私たちの生涯路程に残るのです。したがって、私たちは、原理とともに語り、原理とともに生活し、原理とともに実践しなければなりません。それを通してのみ、歴史を起こすことができ、歴史を導いていくことができ、新しい時代を創建することができるのです。

 このような基盤の上で、内的な生活や外的な生活、あるいは経済的生活や信仰生活をしなければ、安定した生活になり得ません。そのような原理的な生活は、私たちの生死の問題までも左右するのです。現世のそのような生活は、現在だけでなく、永遠の世界にまで残る基盤になります。このようなものこそ統一教会が主張する原理であることを理解して、皆さんはこの原理に立脚して生きなければなりません。私たちが一生において求めるあらゆる目的も、原理と一致する生活から、永遠に残り得る一つの確固たる基盤ができることを肝に銘じなければなりません。(311021041970.4.26

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 明日は、「サタン屈服には家庭が必要」をお届けします。