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統一原理補講 2
アダムの家庭を中心とする復帰摂理②

ナビゲーター:佐野邦雄

 「統一原理補講」は、1993年7月から1994年8月にかけて、あの伝説のメディア『氏族教会FAX-NEWS』に掲載されたシリーズです
 執筆者は、これまた伝説の原理講師、佐野邦雄氏です。30年の時を超えてよみがえる原理学習ページ。統一原理学習の補助教材としてご活用ください。(一部修正加筆し、小見出しを付け、読みやすく改訂しました)

 アダムの家庭を中心とする復帰摂理の失敗により、その後の全ての摂理の目的は、アダム家庭を再創造するための摂理となりました。
 つまり「信仰基台」と「実体基台」を復帰するという条件は、アダムの身代わりに立てられたアベルの立場と、天使長の身代わりであるカインの立場を蕩減復帰するためです。「メシヤのための基台」を造成するということは、「本然のアダムのための基台」を造成することを意味するのです。
 ここでは、「信仰基台」と「実体基台」を復帰することの、より本質的意義とその勝利のための具体的方法を論じてみましょう。

(1)「信仰基台」と「実体基台」
 堕落人間が立てるべき蕩減条件とは、元来堕落する前のアダムとエバが、人間の責任分担として全うすべきであった「三大祝福」のみ言を復帰するための条件と見ることができます。
 つまり、「信仰基台」の復帰は、成長期間にあるアダムがみ言を完成して個性完成者となるべきであった第一祝福を復帰する条件であり、「実体基台」の復帰は、神を中心とする真の愛を持ってアダムとエバが夫婦となり、子女繁殖し、さらには万物主管を完成すべきであった第二、第三祝福を復帰するための条件と見ることができるのです。

 もちろん三大祝福の完成は、原罪なきメシヤを本然のアダムとして迎えて、そこから初めて可能になるのですが、その「メシヤを迎える基台」を造成するために蕩減条件として三大祝福を復帰する条件を立てようとするのが「信仰基台」と「実体基台」の復帰なのです。

(2)「象徴献祭」と「実体献祭」
 「信仰基台」の復帰と「実体基台」の復帰は、献祭という観点から見れば、おのおの「象徴献祭」と「実体献祭」と見ることができます。

 創造原理によれば、神はまず象徴的実体対象である万物世界を造られ、その後形象的実体対象である人間を創造し、人間がみ言(三大祝福)の完成実体となるように計画されたのです。
 復帰は再創造ですから、堕落した人間を代表してアベルはまず「信仰基台」を復帰するために、堕落して万物より低い存在にまで落ちた(エレミヤ17:9)立場から、神の前に万物を復帰する蕩減条件を立て、それを通じて自らが神の前に出ることのできる象徴的条件を立てるため「象徴献祭」が必要となりました。

 そして次には、人間自身(カインとアベル)が実体的に神の前に復帰するための「実体基台」復帰としての「実体献祭」がささげられるのです。
 それはカインとアベルが完全に一つとなって堕落性を脱ぐための条件を立てることですが、それを通じて、その母体であるアダム・エバまでもが復帰される条件となるのです。

(3)自己否定と自己犠牲
 以上のように、「信仰基台」と「実体基台」は献祭という形を通じて蕩減復帰されるのですが、祭物の原則は必ずそれを裂いてサタンを分別してから神にささげなければなりません。
 そこで「信仰基台」復帰のために中心人物(アベル)は、まず自己中心の欲望に相対してくるサタンを分別して100%神の心情に相対する自身となる努力をしなければならないのです。
 それが自己否定の道であり、そのように分別された立場からささげられた祭物であってこそ、初めて神はそれを受けることができ、そこに神の所有権が決定されるのです。

 そして「実体基台」復帰のためには、アベルの前に悪性禀(せいひん)の表示体として立てられたカインがサタンを完全に分別して、アベルと一体となって神の前に出なければなりません。
 しかしサタンとその血統を代表するカインは、愛されなかったという減少感や恨みの思いに心が支配されていますから、そう容易にアベルに屈服できません。
 そこでアベルは真の愛を持ってカインのために生き、カインの恨みを解き、感動するほどに誠意を尽くして投入するのです。それが、犠牲の道が必要とされる理由であり、そのアベルの真の愛に触れればカインは自然屈服せざるを得ないのです。

 このようにして、今日まで摂理を担当した人物たちは自己否定と自己犠牲をもって「信仰基台」と「実体基台」を復帰する道を築き上げてきたのです。

(4)縦的八段階と横的八段階
 前述したように、「信仰基台」は、成長期間にあったアダムとエバが責任分担を完成し、神の心情を体恤(たいじゅつ)すべきであったように、堕落した人間(アベル)がサタンを分別しながら神との心情関係を回復していく路程でもあります。

 本来神の実子として成長して、神の前に四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母の心情を体恤するはずであった人間は、堕落してサタンの主管圏の僕(しもべ)の僕の立場に堕(お)ちてしまいました。

 そこで「信仰基台」はサタン的情念と闘いつつ、神の心情復帰を目指していく心情復帰のための縦的八段階路程となり、僕の僕、僕、養子、庶子、実子、エバ(母)、アダム(父母)、神の八段階の心情を通過しなければならなくなったのです。

 一方「実体基台」は、アダムとエバが真の愛で一つとなり、天使長をはじめとする万物世界全体(天宙)までもその愛で主管すべきであったのですから、堕落人間を代表してアダムの立場にあるアベルは、天使長の立場にあるカインが長い歴史を通じ悪の版図を拡大してきたその全てを、真の愛で主管して神の主管圏に戻さなければなりません。

 そのために、犠牲の道を通じて真の愛による主管性復帰のための横的八段階路程が必要となり、個人的レベルのカインとアベルから始まり、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神に至るまで、真の愛を実体化する路程となってきたのです。

 神は人類歴史6000年を通じて、今日再臨時代を迎えるまで、そのための摂理をしてこられました。この復帰路程を貫く復帰原理を解明された真の父母様は、このみ言を明らかにされただけでなく、その生涯を通して原理原則の道を歩まれ、完全勝利を果たされアダム家庭を再創造されました。

 私たちも一層み言の理解を深め、成約時代(編集部注:現在は、摂理的な段階として「天一国時代」を迎えています)の名にふさわしく、完全にみ言を成就した真の勝利者を目指しましょう。



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