神様はいつも見ている 9
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」を毎週土曜日配信(予定)でお届けします。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第1部 霊界が見えるまで
9. 母を通じて神様と出会う

 父の事故がきっかけとなって私は神様と出会うようになった。もちろん母を通してだが…。

 父を救ったのは神道の神様で、父が奇跡的な回復をしたのも母の信仰の故だった。

 一週間霊界に行って戻ってこられたのも母が神様の言うことを信じたからだったし、医者が父の腕を切った方がいいと断言していたのにもかかわらず、切らずに済むようになったのも母親が献身的に看病し、動かない手を真心込めてマッサージしたことが大きかった。

 と言っても、ねじられた腕がすぐに元通りになったわけではないし、健常者の体に戻ったわけではなかった。ベッドでの生活はしばらく続いた。父の体は元気だった頃と同じようには動かなかったのである。

 父も最初は母の変貌に戸惑っていた。

 「俺を助けたのが神様だって?」

 父は信心深い人間ではない。むしろ自信家で、自分の能力や体力、腕力といった力の論理で物事を考えるタイプだった。

 だから奇跡的な回復も、単に運が良かったのだろうと考え、神道の教会に通っている母のことを鼻で笑ったのである。

 「おまえの神様とやらに、俺の腕のけがやこの顔を元に戻してくれるように頼んでくれよ! 元の顔になったら信じてやるわ!」

 父の暴言に母が悲しそうな顔を返していたことを今も覚えている。

 「あんた、そうは言っても、神様が死んでしまうところを助けてくれたのは間違いないでしょ?」

 「でもよ、おかしくないか? なんでおまえは神様の言ったことを覚えていないんだ?」

 「仕方がないでしょ。神様が乗り移っている時は、自分が自分じゃなくなっているんだから」

 「それを俺に信じろというのか」

 「信じろって、助かったのは確かな事でしょ! お医者さまだって、助からないとおっしゃったのに、こうして悪口を言えるようになっただけでもありがたいじゃないの!」

 言い込められた父は苦笑した。

 しかし母自身も悩んでいた。なぜ、神様の言葉を自分では聞けないのだろうと…。

 本当に自分に神様が乗り移っているのだろうか。周りが言うように、実際にはただ狂ってしまっただけなのではないのだろうか。

 夫の介護と家族の世話をしながら、母は一言も不平不満を言わなかった。早朝から神道の教会に通い、一日も神様のお勤めを休むことはなかった。

 私はそのような母の姿を見ながら、子供なりにも自分には到底できないことだと感じていた。
 「自分でできることは自分でしよう」「母の手伝いをしなくては」という思いが日に日に強くなっていった。

 病院で寝たきりの状態にあった父の世話は、主に母がやっていた。
 ねじ曲がった手足のマッサージや介助などをするほか、子供たちの食事の準備や掃除洗濯、家事の全てを母が担った。

 兄も姉も学校に通っていたので、母が病院に行けないときは時間が自由に使える就学前の私が代わるしかなかった。

 私は遊びざかりの年齢だったが、時間が来たら病院に行き、用事を言いつけられるほかは、病室の父のベッドのそばで、ただじっとしているしかなかった。

 5歳の子供が病院でできることといえば、父に何か異変があったらブザーを押して看護師さんを呼ぶことだけだった。

 この年頃の子供は考えるより前に体が動くもの。走り回ったり、いたずらしたり、騒ぎ回るのが子供の仕事だ。
 そんな子供が、痛みに耐えかねて苦しんで唸(うな)っている父の姿をただ見ながら、じっと我慢をしている姿を想像できるだろうか。
 父も大変だったろうが、じっとしていなければならない私も大変だったのである。
 子供心にも、そのことがつらかったことを今でもよく覚えている。

 それでも母はうれしかったようで、私の頭をなでながら、「ありがとうね」と言ってくれた。

 父の入院生活の初期、母は病院に泊まり込んで父に付き添っていた。
 朝になると、私と交代して神道の教会へ行き、修行をするのである。昼ごろに病院に戻ると、母は神懸かりの状態で父の体をマッサージした。そのような日々が続いた。

 やがて父の状態が少しずつ良くなっていき、ついには医者が切断するしかないと言っていた左腕が治ったのである。

 「少しじゃけんど、腕が動くようになったわ」

 父は鬼瓦のような顔をほころばせて母に言う。
 母は父の姿を見て涙を流した。

 手の指に障害が残り、不便なところはあったが、生活をする上での基本的なことはできるようになった。
 ご飯を食べるときは、動く右手でまず茶碗を左の手のひらに乗せ、それを食べるようにしていた。最初はご飯をこぼすこともあったが、やがて普通に食べられるようになった。

 胴体にめり込んでいた右足も引き出され、歩行も可能な状態になった。はたから見ても奇跡が起こったとしか言いようがないほどの回復ぶりだったのである。

 父に起きた出来事によって、母の神仏に対する信頼と信仰は深まっていった。

 修行のせいか少しずつ母に神様が乗り移ることが増えていった。父以外の事についても、さまざまな助言や警告、指導をするようになっていった。

 母は、夫を助け、腕を切らずに済むようにしてくれた神様の業に心底感謝していた。神様のことをもっと知りたい、神様にもっと近づきたいという母の思いは日増しに強くなっていった。

 同時に私たちの家庭と神道の教会との結び付きも深まり、神様に仕えるための儀式や所作が家庭の中でも行われるようになっていったのである。

(続く)

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 次回は、「保険金で払ってはならんぞ」をお届けします。