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【B-Life『祝福家庭』コーナー】
『祝福家庭』35号(2004年 冬季号)
御言から見る健康 12


 *文末の数字について、例えば(9-176)は、『文鮮明先生御言選集』第9巻176頁の意

 病人は、悪い心を抱くことができません。病気を患っている人は、悪い心を抱くことができないのです。病人は、自然に対しても、同情されたいと思い、天地を見ても、同情されたいと思うのです。
 そして、「同情できる人になってみたい」と期待します。「自分は、健康になって、同情できる人にならなければならないのに」と思うのです。
 健康な人を見ても、同情されたいと思い、「私も、あのような人になって同情してあげることができれば」と思うのです。
 ですから、病人は、悪い心をもつことができません。それは、修養です。そうかそうでないか、一度、患ってみてください。(154-90

 皆さんは、今まで歴史的因縁の中で、罪悪の基盤となっていた皆さん自身を征服し、征服された自分の実体を立て、家庭の悪、社会の悪を、すべて消化してしまわなければなりません。
 病気になった人は、おかゆを食べても胃がもたれるでしょう。健康な人は、石を食べても消化します。
 この良心が病気にかかったので、健康な良心となって、良心が主体性を確立するようになれば、体は、その良心に従っていくようになるのです。(156-89

 神様がご覧になれば、病気の子供と健康な子供のうち、情的に考えるとき、どちらにより同情なさるでしょうか?(「病気の子供です」)。そうですか?(「はい」)。
 世の中の堕落した人間も、そうだというのです。立派な子供がいても、その中に病気の子供がいれば、その病気の子供に対して、父母は…。その病気の子供は、父母の心情の3分の2を占有するのです。
 神様の愛が人間に訪れてくるようにするのが、最高の目的だとすれば、神様の同情を受けることができる人と親しくすることが、幸福を早く見つける方法です。分かりますか?(「はい」)。
 ですから、良い女性は、悪い新郎をもらわなければならず、優れた男性は、劣った女性をもらわなければならないのです。すべて、そのようになっています。そうでしょう。(「はい」)。(157-99

 このような内容が盛りだくさんの『祝福家庭』を、是非一度手にとってみてください。

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