2023.05.24 17:00
スマホで立ち読み Vol.23
『み言に学ぶ統一原理【後編】』10
スマホで立ち読み第23弾、『み言に学ぶ統一原理【後編】』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
本書は文鮮明(ムン・ソンミョン)先生が統一原理について語られた内容を『原理講論』と同じ章構成でまとめたみ言集の後編です。
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緒論について
第二節 復帰摂理歴史と「私」
(二)復帰原理を学ぶ目的
復帰原理を通して、私たちは何をするのでしょうか。悲しい歴史過程を終結するために精誠を尽くし、蕩減(とうげん)条件を立てなければなりません。そして、アダム家庭でアダムを失ってしまった神様の、その悲しみに同参しなければならず、カインが最後の結実を結ばなければならないにもかかわらず、アベルを殺害することによって神様に釘(くぎ)を打ちつけたその悲しみを忘れさせ、ノアが120年間苦労して忠誠を尽くしたにもかかわらず、一時に破壊されたその悲しみを忘れるようにしなければなりません。
また、アブラハム、イサク、ヤコブの三代にわたって苦労した心情的な内容を知らなければなりません。そして、モーセからイエス様まで、2千年間続いてきた神様の悲しみに同参できなければならないのです。そのようにするために、神様の心情を皆さんに植えつけてあげるためのものが復帰原理です。(17-245、1967.1.29)
復帰原理を学んで、復帰それ自体を知ることが問題ではありません。復帰原理を動かし、摂理してきた神様がどのような方なのか、ということを知るのが目的です。そして、神様がある悲しみを抱いて、こうして私のために苦労したという事実をはっきりと知り、私よりもはるかに偉大で尊い方が私のためにこのように苦労したという事実が、あまりに途方もないことだと感じるようになるとき、それ自体が私にとって力の母体になり得るというのです。(157-241、1967.4.10)
アダムが堕落によって神様を悲しませた事実、カインがアベルに従順でなかった罪、ノアを中心とする摂理においてのハムの失敗、アブラハムを中心とする曲折の歴史、モーセを中心とする悲しみの歴史、イエス様を中心とする恨(ハン)の歴史、このような憤懣(ふんまん)やる方ない歴史と、皆さん自身の立場まで蕩減しなければなりません。
アダムの悲しかったことと、アベルの悲しかったこと、ノアとハムの悲しかったこと、アブラハムやモーセの悲しかったことを代わりに蕩減し、神様が希望として御覧になることができるようにしなければなりません。これが皆さんの責任です。アダムやアベル、ノア、アブラハム、モーセ、またイエス様の事情と心情を体恤(たいじゅつ)し、「お父様、私は、彼らのような立場にはなりません。洗礼ヨハネやイエス様のような境遇にはなりません。神様を悲しませる群れにはなりません」と言わなければならないのです。今まで先祖たちができなかった忠誠で、神様の前に希望をお返ししてさしあげようという覚悟がなければなりません。
それだけでなく、「神様、アダムに与えたいと思われたものが何だったのでしょうか。祝福の因縁を残してくださいますように」と言うことができなければなりません。ノア、アブラハム、モーセなどの使命者たちが結びたいと思っていた心情の因縁を結ばなければなりません。歴史的な先祖たちが相続できなかった心情を相続しなければならないのです。(11-340、1962.4.19)
ヤコブ路程はモーセ路程の典型であり、モーセ路程はイエス路程の典型であり、イエス路程は再臨主が行かなければならない典型路程です。それでは、再臨主路程は誰が模範として行かなければならない路程ですか。正に皆さんが行かなければならない路程です。再臨主が来る時まで、個人的なヤコブ路程は象徴的であり、民族的なモーセ路程は形象的であり、世界的なイエス路程は実体的です。
しかし、再臨主が実体的に蕩減するならば、皆さんは形象的に蕩減しなければならず、皆さんの子孫たちは象徴的に蕩減しなければなりません。そのようにして一周回って越えるのです。象徴的、形象的、実体的に越えて再び実体的、形象的、象徴的に戻る時、初めて世界は平和の世界に戻っていくのです。原理がそのようになっているというのです。(22-158、1969.2.2)
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「スマホで立ち読み」での連載は、今回が最終回となります。ご愛読ありがとうございます。続きは、ぜひ書籍でご覧ください。