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(『祝福家庭』81号)
【第3祝福】「主管性完成」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第三祝福】
「万物を愛する」に関するみ言Ⅱ(1)

 自然は、ために生きる愛をもった息子、娘が生まれるとき、その息子、娘に、ために生きることのできる万物として、贈り物として神様が下さった展示品です。一羽の鳥も、一株の草も、愛の息子、娘たちの生活を美化するために造られた装飾品なのです。道端に転がっている石ころも、息子、娘が国を治める主人になることを知っていて、その国の装飾品として造ったというのです。流れる水も同じです。無味乾燥で単調であってはいけないので、造化無双な和合の園をつくり、愛のための世界を見て、それを相続できる夢の王子、希望の王子を造るために創造したというのです。


(天一国経典『天聖経』第6篇・第3章・第4節・3


 神様が心情をもって万物を造ったのは、自己投入であるとともに、相対のためです。その相対とは、愛の相対です。ですから、神様が創造されるときに自分を投入し、愛の心をもって喜ばれたのと同じように、皆さんも万物を愛するようになれば、神様の側に立つようになります。万物を愛すれば愛するほど、神様のあとを訪ねていくのです。


(同 第3篇・第1章・第1節・35


 神様の愛が宿っている自然を見つめて、「世の中の王や有名人がもっている、立派だという物と比べられるだろうか。骨董品と比べられるだろうか。有名な婦人が着ている豪華な服と比べられるだろうか」という思いをもたなければなりません。それができなければ、私たちは、自然界の前に、我知らず罪を犯しているのです。

 一つの生命体を見るとき、「人間が作った物と比べられようか。いくら立派な人でも、神様より立派であるはずはない」と言いながら、神様が心情を注いで造られた万物を手に取り、何よりも貴く感じる者がいるとすれば、これは間違いなく神様の息子、娘です。このような人には祈りが必要ありません。神様と共に生きる人です。神様は人間を、そのような位置にまで押し出すのです。


(同 第6篇・第3章・第4節・5