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愛の勝利者ヤコブ 32

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「愛の勝利者ヤコブ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 どの聖書物語作者も解明し得なかったヤコブの生涯が、著者の豊かな聖書知識と想像力で、現代にも通じる人生の勝利パターンとしてリアルに再現されました。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『愛の勝利者ヤコブ-神の祝福と約束の成就-』より)

ラケルへの求婚

 ラバンがヤコブのために催した歓迎宴はひときわ豪華であった。長男、次男、三男とその妻子、未婚の娘レアとラケル、ラバンの弟夫婦とその子や孫など、30人を超える大家族の一人一人をラバンはヤコブに紹介した。

 ヤコブはラケルの心遣いで身を清め、とりあえずあり合わせの寸足らずの服を借りて身にまとっているだけだったが、臆する色もなくはきはきした口調で、これまでのいきさつ、旅で出くわしたさまざまなエピソードを面白おかしく話して聞かせた。興味をそぐような陰惨な話は一言も口にしなかった。

 ラバンは、たちまちに人の心を自分に集め、座の中心となるヤコブの天性に目を見張ったが、とりわけ二度にわたってエサウをだまし、家督権を奪い取った手口のあざやかさに関心を抱いた。並の器量ではない。これなら使いものになりそうだ。いやうっかりしていると自分の方が手玉に取られるかもしれない。しかし何といっても、若いうえにただ一人で見知らぬ遠縁を頼ってきているのだ。何ほどのことができよう……。

 愛想よくぶどう酒を勧めながら、ラバンはそれとなく、アブラハムが従僕を遣わして、リベカを嫁に迎えようとした時のことを話し出した。

 「あなたの祖父アブラハムは向こうでたいそう成功されたようだの。使者のエリエゼルは、まだリベカが何者か分からぬのに、街の様子を知るためだけに、何と半シケルの金の鼻輪一つと、10シケルもする金の腕輪を二つもリベカに手渡したのじゃ。

 リベカこそ希望どおりの娘だと分かると、らくだに積んできた金や銀の飾り、衣服などを山ほどわたしどもみんなにお贈りくだされた。その豪勢なこと、いまだにこの町では語り草となっておるわ。よい縁者を持ったものと鼻が高かったものじゃ」

 そう言いながら下目使いでヤコブの体に合わない、にわか仕立ての服を見やった。ヤコブには、ラバンの言わんとすることがすぐに読み取れた。この伯父はただ財産を増やすことだけにしか関心がない。

 この砂漠を乗り越えるのに何度死に直面し、何度神との出会いによって霊的に成長してきたことか。

 しかしそんなことは伯父にはどうでもよい。自分がこの地にとどまることが伯父にとって得か損か、ただそのことしか念頭にないのだ。ヤコブはただ黙って悪びれもせずに、陽気に笑い興じてだけいた。神の権威が傷つけられることを、神が何よりも悲しく思われるのをヤコブはよく承知していたからである。

 ヤコブは口で答える代わりに、行動でラバンに自分に意のあるところを伝えようと考えた。翌日は死ぬほど疲れていたが、歯を食いしばってまだ暗いうちに牧場に出、1日中、羊や牛、らくだ、ろばなどの面倒を見た。その次の日も……また次の日も……黙々とただの1日も休まず……それが1か月も続いた。ラバンの自分を見る目が日に日に変わっていくのを、ヤコブは全身で感じ取った。

 とうとうラバンの方から口を切り出した。

 「精が出ますのう。あれほどの長旅を終えられたばかりじゃというのに。どうじゃろう。いくらわたしの甥(おい)だからといっても、ただで働く必要もなかろう。もし欲しいものがあれば遠慮なく言いなさい」

 ヤコブは即座に言った。

 「ラケルを下さい。ほかには何も要りません」

 それはラケルの美しさと優しさに心を奪われ尽くしていたからであるが、それ以上にラケルを妻にすることが神のみ意(こころ)にかなうことだと思ったからである。

 「ほう、ラケルが気に入ったか。なにせ太陽のように明るい娘じゃからの。しかしまだ若過ぎはせぬか」

 「7年間あなたの召使いとしてお仕えいたしましょう。なにぶんにも無一文の身、ほかに差しあげるものもございませんので」

 ヤコブはずばりと切り出した。

 「7年間、あのようにせっせと働くと言われるのじゃな」

 自分が考えていたものより数等良い条件をヤコブの方から切り出してきたので、ラバンは上機嫌だった。

 「わたしもあのかわいい娘を他人にやりとうはない。7年ここで修業するのじゃな。望みどおりラケルはあなたにあげよう」

 ヤコブは天にも昇るような心持ちであった。

 聖書には「こうして、ヤコブは7年の間ラケルのために働いたが、彼女を愛したので、ただ数日のように思われた」(創世記2920)と記されている。

 確かに7年という歳月は短いものではない。ラバンには三人の息子がおり、長男には土地の産物の商いを手伝わせ、あとの二人には家畜の世話をさせていた。1か月のヤコブの働きぶりから家畜のことをよく知っており、その扱いが際立ってうまいところから、息子たちに任せていた家畜のうち扱いにくいもの、病気やけがをしているものなどをみなヤコブに押しつけて管理させた。

 ヤコブは一緒に与えられた従者と共に熱心に研究をし、分担を決めて23か月のうちに手遅れのものを除いて傷や病気をみな治し、前には手に負えない暴れん坊だったものも、みなヤコブを慕って遊びたわむれ、おとなしく従ってくるようたくみに仕込んだ。

 この夜に日を継いでの格闘の時期が過ぎて全体が順調に動き始めると、今度は来る日も来る日も同じことの単調な繰り返しばかりの生活が苦痛となってきた。もうどうにもならなくなると、ヤコブは従者たちが昼寝をするわずかな時間に牧場を抜け出て、あふれるばかりの多様な緑のあい間を縫って滔々(とうとう)と流れくだるユフラテ川の景観の中に身をゆだね、しばし祈るように水のおもてを見つめ続けることもしばしばあった。

 そんな時、ふと思いがけず満面に笑みを浮かべたラケルの影が後ろから重なり、もぎたての新鮮なイチジクやナツメヤシをそっと手渡されたりした時、ヤコブの心はどれほど慰められたことだろう。ヤコブの故郷──カナンの地、死海一帯のことなど、話は尽きず、思わず牧場に戻らなければならない時間を超えてしまうこともあった。

 何がなくとも自分にはラケルがいる。そう思うと、疲れでのめり込みそうになる体に再び力が甦(よみがえ)ってくるのであった。

 ラバンはそういうヤコブの様子を見て、いい甥が来てくれたものとほくそ笑み、ヤコブを息子たちの教育のよい刺激にしようとして、何かにつけてヤコブと比較しては小言を言った。

 息子たちは当然、内心穏やかではない。ヤコブはらくだ乗りの競争を申し出てわざとぶざまに転げ落ちるなど、道化役を演じてみせもした。夜、火をかこんでの夕食に、異国を巡り歩いて覚えた見よう見まねの変わった歌や踊り、小話などを披露して興を誘うなど、そうした面での気苦労も一通りや二通りではなかった。

 翌年の実りの秋ともなると、ラバンはヤコブに言った。

 「羊や牛の世話もいい加減飽きただろう。今度はひとつ商いをやってみないか」

 「どんなことでも。7年間はあなたにお預けした体、ご意向どおりに勤めさせていただきます」

 さて実際にやらせてみると、ヤコブの商才は牧者としての手腕をはるかに上まわるものであることが分かった。農家から野菜や果物を仕入れ、町の市場に運んでそれを売るのだが、貧苦を身にしみて知っているヤコブは仕入れ値を無慈悲に買いたたくことはせず、むしろ他の商人より高値で買った。その代わり、それを売る場所とタイミング、かけひきのたくみさは天才ともいえるほどのものであった。

 品薄で値が暴騰し、のどから手が出るほど欲しがっている品物を、ヤコブはそこに運んできてその市価の1割引きぐらいで大量に売り、土地の顔役が血相を変えてやって来るころにはつむじ風のように消え去っていて、次の町で悠々と品不足のものを大量に売りさばいていた。もうけは莫大(ばくだい)で、頭と弁舌のたくみさで競争相手に尻尾をつかまれるようなへまも決してしなかった。

 こうして、商いに利のある時期には商売をし、そのうま味がなくなる時期には牧畜に専念し、このためラバンはどれほど財産を増やしたか計り知れない。

 このように献身的にラバンに尽くす一方、持ち前の好奇心から暇さえあれば地勢、気象、天文、医術、風俗、伝承、草花や野性動物それぞれの生理から生態に至るまで詳しく研究した。一つとして関心のないものはなく、一度聞いたことは決して忘れなかった。規則正しいヤコブの仕事ぶりはおのずから牧者の生活に快適なリズムをつくり出し、その博学はラバンの一族に多くの利便を与えた。

 初めは勤勉すぎてとかく比較され、ありがた迷惑に感じていた若者たちも、いつしかヤコブを慕い、離れがたい思いをするようになった。一族の富もいつしか見違えるほど大きくふくらんでいた。

 こうした苦労のすべてがラケルのためであることを、ラケルも成長するにつれて敏感に感じ取り、さり気なく陰で助け、慰め、一緒になれる日のことを一日千秋の思いで待ち続けるようになった。

 ラケルのこの献身と未来への希望──これがヤコブの7年の労役を支えたのであった。

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 次回は、「ラバンの奸計(かんけい)」をお届けします。