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ダーウィニズムを超えて 4

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第一章 進化論を超えて
新創造論の提唱

(二)生物はデザインされたものか

3)クジャクの美しい羽
 ダーウィンにとってもう一つの困難な問題は、クジャクの雌はそうでないのにクジャクの雄は、どうして華麗な、しかもどう見ても生きていくために必要とは思えない、大きくて、重くて、身動きがとりにくい尾羽を持っているかということであった。そのためダーウィンは「クジャクの羽を見るたびに気分が悪くなる」とこぼしていたという。そして彼はこの問題に答えようとして「性選択」の理論をもちだした。それが雌雄の生殖に際しての雄間競争と雌の選(え)り好みである。しかしながら、雄が雌を求めて雄同士で競い合い、雌は雄を選ぶというようなことから、いかにして色彩豊かな目玉模様のドレスのような雄の羽ができるというのであろうか。雌としては、美しい雄の羽に引きつけられるとしても、雌はただ鑑賞者にすぎず、芸術家ではないのである。また雄同士が争えば、雄の羽は抜けたり、模様はぼやけ、色はあせていくであろう。ダーウィンのいう「性選択」の中には何ら創造的な作用は見られない。生物の雌雄の問題を研究している長谷川真理子も、雌による選り好みがなぜ進化するのかということは、とても困難な問題であると次のように述べている。

 しかし、現代の進化生物学で考えて、このような選り好み[尾の長さ、目玉模様の数、持ってくる餌の大きさ、あずまやの飾りつけなど]がなぜ進化するのかは、とても一筋縄ではいかない、難しいことなのです。……配偶者の選り好みがどのようなシナリオで進化してきたのか、本当のところはまだ解決がついていません(*7)。

4)自然選択の性格
 進化論者は自然選択をあたかも創造者のようにとらえている。ダーウィンは次のように述べた。「自然選択は、日ごとにまた毎時間ごとに、世界中で、どんな軽微なものであろうとあらゆる変異を、詳しく調べる。悪いものは抜き去り、すべての良いものを保存し集積する。……[生物を]改良する仕事を、無言で目立たずにつづける(*8)」。ドブジャンスキー(Dobzhansky)は自然選択を作曲家に、シンプソン(Simpson)は詩人に、メイヤー(Mayr)は彫刻家に、ハクスリー(Julian Huxley)はシェークスピアにたとえた。そしてグールド(Gould)は「ダーウィニズムの真髄は、自然選択が適者を創造するという主張にある(*9)」と述べた。進化論者たちによって、自然選択は造物主の位置にまで引き上げられたのである。

 ところで自然選択とは本来、多くの変異のうちでどれが生存に適しているかを判定するだけの作用であった。したがって自然選択は改良されたデザインを選択することはできる。しかし、それはデザインを改良し、作るということとは全く別のことである。ところが進化論者は単に選択するだけの作用である自然選択に創造する機能まで与えているのである。それは大きな飛躍またはすり替えなのである。

 遺伝的変異と自然選択による進化論を批判している医学者の牧野尚彦も、「自然選択とは……創造にはいっさい関わらない、不適格者を排除するだけの消極的な機構にすぎないのではないか(*10)」と言っている。ミルトンも「自然選択は死か繁栄をもたらすだけで、個々に必要な微調整をもたらすことはできない。それでも、これほど粗雑なメカニズムが遺伝子突然変異のプログラムを建設的に制御していることを信じろというのだろうか(*11)」と言う。そしてサイエンス・ライターの金子隆一・中野美鹿が言うように、「今こそわれわれは、自然選択と呼ばれるものの正体を徹底的に解明すべき時を迎えた(*12)」のである。

5)被造物の設計図としてのロゴス
 現代の生物学によれば、生物の形質は細胞の核の中にあるDNAのもつ遺伝暗号によって決定されることが明らかにされた。つまり、キリンの長い首も、われわれの複雑な目も、クジャクの美しい羽も、遺伝暗号として、設計図が与えられているから、そうなったのである。

 科学者は遺伝暗号の存在を明らかにしたが、遺伝暗号は、人間の医学者、化学者、物理学者、生物学者、そして芸術家などが、はるかに及ばない内容を備えている。これを偶然に生じたと考えるのは非科学的で非合理的である。人間の知性をはるかに超えた存在、すなわち創造主の言(ロゴス)である設計図またはデザインが、DNAの暗号として、細胞の中に宿っていると見るほうが科学的で合理的である。遺伝子の研究において著名な村上和雄も、DNAの暗号について次のように述べている。

 これだけ精巧な生命の設計図を、いったい誰が、どのようにして書いたのか。人間業をはるかに超えていて、まさに奇跡と言わざるを得ない。この自然の偉大な力「サムシング・グレート」によって、私たちは生かされている(*13)。

 村上の言う「サムシング・グレート」とは、もちろん神にほかならない。さらに最近になって、アメリカではインテリジェント・デザイン理論(Intelligent Design Theory)が脚光を浴びている。これは「生物の進化は突然変異と自然選択では説明できない」とダーウィニズムに異議を唱えるものであり、「自然界の中に知性あるもののデザインが働いていることを科学的事実として認めるべきだ」という見解である。デザインを認めれば、デザイナーは誰かということになる。したがってこの理論は、進化論を克服し、神による創造に道を開くものである。


*7 長谷川真理子『オスとメス=性の不思議』講談社、1993年、164173頁。
*8 チャールズ・ダーウィン『種の起源』上巻、112頁。
*9 スティーヴン・グールド、浦本昌紀・寺田鴻訳『ダーウィン以来』早川書房、1986年、上巻、59頁。
*10 牧野尚彦『ダーウィンよさようなら』青土社、1997年、63頁。
*11 リチャード・ミルトン『進化論に疑問あり』257頁。
*12 金子隆一・中野美鹿『大進化する進化論』NTT出版、1995年、266頁。
*13 村上和雄、産経新聞、200247日。

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 次回は、「連続的か、瞬間的か、段階的か」をお届けします。


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