2023.04.14 17:00
心情開拓
心霊を育てる生活原則(99)
原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。
李耀翰・著
4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年11月21日)
【イエスを中心とする路程】
牧会とは何ですか?
(質問)牧会とは何ですか?
牧者が羊を飼うのを牧会というのです。天使長の使命は、牧会ではなく、み言(ことば)の案内、伝達です。お知らせです。アベルの立場は、父母の心情をもって人を復活させて育てていく、生んで育てていきます。自分自身が相当み言によって受肉して成長していないと、相手を牧会することはできないのです。
こういうことを聞くと、どうしたらいいのかなと思いますが、まずイエス様は牧会者としてどうしましたか。先生がいないのです。皆さんも、み言を中心として、方向は探したのです。方向は決まっているから、共に行く人の事情によって、情的接触を大切にすれば、神は主管してくれます。
地方に行って、自分しかいない場合、また地区長が忙しくて内面的指導ができない場合、信仰のお母さんが一人いれば、自分がうれしい時とか、悲しい時に相談すれば、良い指導、とても立派な答えが出るのです。なぜかというと、疲れた自分は、真っ暗になり、方向が分からなくなるけれども、そういう場面にぶつかっていない兄弟と相談すると、立派な知恵のある答えを得ることができるのです。
そういう例は、どこに見られるかというと、イスラエル民族が金の子牛を造り、その前で踊った時、ヤハウェが興奮してその民を全滅しようとした時、モーセは神様も感心するくらいの話をしたでしょう。すなわち、「主よ、大いなる力と強き手をもって、エジプトの国から導き出されたあなたの民にむかって、なぜあなたの怒りが燃えるのでしょうか。どうしてエジプトびとに、『彼は悪意をもって彼らを導き出し、彼らを山地で殺し、地の面から断ち滅ぼすのだ』と言わせてよいでしょうか」(出エジプト記32・11、12)。このようにサタン側の喜びを考えたというのは、これは普通考えられないことです。
それと同じく、自分が行き詰まった時には、そうでない人に話してみると、「本当はそうしてはいけない! 教会長が心配するから」こう言われるか、また「すべての親族の反対を押しきって出てきたのに、そんなだらしのないことでどうなるか」と、しかられるかもしれません。私を中心として、あなたがそうなったら喜ぶ人は、ああいう人、讒訴(ざんそ)する人は、こういう人だと、一生懸命見てくれるのです。
自分が悩みの中に入っていると、自分の姿は見えないのですが、人は自分を見てくれています。だから自分を見てくれる人は、周囲で、教会長も地区長も、父親も親戚も、どう見るかと、教えてくれるのです。
そういう人がいない場合、自分が育てます。だから僕(しもべ)になるというのです。なるべく自分が指導者の立場に立たないで、僕の立場で学ぶのです。そうしたら相当知恵がわき上がるのです。そして基台をつくって、三人に尊敬されながら祈祷すれば、神はいつも答えてくださるのです。その人の祈祷には、神は相手をしなくてはならないのです。だからイエス様は三人を連れて祈祷に行ったのですが、三人が寝るからやむを得ず、血を流すつらさがあったのですが、三人一緒に同じように祈れば、流すはずはなかったのです。
だから人を愛しなさい。その次には、祈祷をしなさい。条件付きの愛ではなく、本心からわき上がる愛で、愛するのです。献金してもらって、教会が食べなくてはならないから、金持ちを伝道しようと、こういった愛し方ではいけません。今度こういうことをやるから、印刷の仕事があるから、そういう技術をもった人がいいと、そういう条件つきで人を愛するのは愛ではないのです。利用しようとする政策です。だから無条件で愛するのです。
その次に、熱心に祈祷します。人間は愛して祈祷すると危なくないのです。安全です。人間を愛しながら祈祷する人は、神を尊敬するのです。
神は地上目的をもって私たちに対しているのに、地上のことはほうり出しておいて、霊界のことばかり一生懸命やっていると、その人間は実体をもっているけれども、もう地上に生きていたくないということなのだから、霊を呼ばなくてはなりません。約3年ぐらい気違いになって、それから霊界に行ってしまう結果になります。その人の願いどおりになってしまうのです。「地上が嫌だ」と言っていると、死ぬというのです。だから信仰者は、地上を愛するのです。
人間は神だと言って間違いありません。堕落した人間を見た時も、神を失ったと言って泣きながら、その人を導いてやりたいのです。その人は、不信者だからサタンだ、とこう思わずに、神を失ったんだ、私たちは神に導いてやるんだと思うことです。神を不信仰する兄弟が、お互いに秘密を預けたい、とこういうふうになったならば、生きた神があるならば、そういう兄弟の中に一瞬間も離れられないのが、神様の愛情です。
サタンは、たった一人を追い出すために、みなその人を憎んで攻撃させます。兄弟同士で歓迎もしないし、自分もびくびくして、頭を下げたくもない、自分を担当して愛してくれた人も、このごろは異邦人のように取り扱う、それならもう教会に行きたくないということになります。そうして世間に行くと、サタン側の人がとっても歓迎するのです。だから、やっぱりサタン側もいいじゃないかと、戻ってしまうのです。
自分は自分の心のままにいかないのです。真理を受肉したなら、「絶対に行け」と言っても、笑いながらその内容を理解するのです。信頼されている人は、すぐ分かります。だから信頼されている人は、試すことができないのです。ちゃんと知っているからです。
皆さんが伝道者として、日本の先頭に立った基準にならなくてはならないのです。私たち以外に、だれもこの歴史を築く人がいないのです。あなたたちも考えてみてください。神の私たちに対しての期待は、どれほどかを考えてみた時、あなたたち以外にだれもいません! 神の立場で、あなたたちの人格を再び創造しようとする神の愛着心。だから相当、夢でも教育を受けるはずなのです。
夢に見せて天から干渉すると、人間との間が離れるから、天は干渉しないのです。なるべく干渉しないで、自分たち同士で親しくなるように。だから私は、皆さんにこう言えるけれど、神は皆さんにこう言えません。それから、お父さんの立場で皆さんに言えないものがあるのです。私は兄弟の立場で、お父さんが言えない部分を話せるのです。
だから、兄弟を見る時、神を見るのだというその一点の戒めを読んで、「ああ神様に会った」と、こう口で言ってみて、思い出して、「神様! お父様!」と言ってみるのです。そうすると、態度が変わってくるのです。考えにより、み言により、自分の態度が変わっていくのです。
だから私たち以外にはないということを、切に実感しなくてはいけないのです。「私たちのみだ!」と。私たちの運命によって、この国家の運命は左右されるのだと、これを実感しなくてはいけません。新聞を読むにも、責任をもって読む。ああ、こんな事件があった。「神はこれを見た時、どう感じられるだろう」と思って、涙をそこに加えるのです。心配心を加えてやれば、だんだん日本の国民は、私たちを訪ねてくるのです。そういう涙をもった団体は、教えなくても分かって、来るのです。
だから先生は、家庭を祝福したあとは、世界はこうなっていくはずだ、こうなっていかなくてはならないと、おもしろいことをおっしゃるのです。36家庭を立てて、国家的問題が起こるのだとおっしゃったら、5・16の動乱が起きてデモをしました。私たちの行く道において、いろいろなこと、銃とか圧迫がありますが、私たちを憎む人はみな、良くない結果になるのです。
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次回は、「教会長は牧会で育てる」をお届けします。