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愛の勝利者ヤコブ 28

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「愛の勝利者ヤコブ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 どの聖書物語作者も解明し得なかったヤコブの生涯が、著者の豊かな聖書知識と想像力で、現代にも通じる人生の勝利パターンとしてリアルに再現されました。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『愛の勝利者ヤコブ-神の祝福と約束の成就-』より)

離別

 家督権のことなど気にも留めなかったエサウだが、それを奪われてみるといまさらながらその貴重さが身にしみて分かり、うまうまとだまし取ったヤコブが憎くてならなかった。

 「父の目が黒いうちは手が出せないが、それも長いことではなかろう。その時になってみろ、ただじゃおかない」

 エサウはあえて敵意を隠そうとはせず、身近なものには殺意さえほのめかすほどだった。当然そのことはリベカの耳にも入った。怒り出したら手のつけられないエサウ。その性質を知り抜いているリベカは、エサウに気づかれないように人をやって、ヤコブを自分の所に来させた。

 「お前もうわさを聞いておいでだろうが、エサウはお前を殺しかねないよ。手配をしておいたから、すぐにもハランにいる兄のラバンの所に行って、かくまってもらいなさい。そのうちエサウの怒りが収まったら、人を迎えにやるからね」

 そう言いながら、リベカはしみじみと訴えた。

 「お前たちが争って二人とも死ぬようなことにでもなったら、お母さんは何を望みにして生きていったらいいの。かわいいのは同じなのさ。できの良い子でも悪い子でも……自分の分身なんだものね。母親ってそういうものなんだよ」

 そうする一方では抜かりなく、リベカはイサクのほうにもそれとなく謎をかけていた。

 「わたしはエサウの嫁たちと一緒にいるとつくづくいやになります。やることなすことだらしがないし、叱(しか)ろうにも神様を知らないヘテ人の娘でしょう。怖いもの知らずでしつけのしようもありません。その子供たちがアブラハムの一族となるなんて……。

 お父さん、ヤコブまでがそうならないようにしっかり言い聞かせてくださいましな」

 もっともだと思ったイサクはヤコブを呼び、神の名において祝福し、命じて言った。

 「お前もアブラハムの家を継ぐからには、もう自分一人だけの身ではない。いやしくも天地の造り主であられる神の民族の祖となるのだ。断じてこの異教の地のカナンの娘を妻にめとってはならぬ。父アブラハムも老僕エリエゼルに命じて、はるばる砂漠を越えて親族のいるハランにまで嫁探しに行かせた(創世記2424)。

 そして連れてきたのがほかでもないリベカじゃ。美しく犯しがたい気品があり、それに何よりも人並みすぐれた知恵がある。まわりにいる女たちと見比べてみよ。比較にもならんじゃろうが。それは神が祝福された家の血筋を引いておるからじゃ。

 うむそうじゃ。お前もリベカの父ベトエルの家にまで行って、リベカの兄のラバンの娘を妻に迎えなさい」

 そうして天を仰いでおごそかにこう祈った。

 「全能の神が、あなたを祝福し、多くの子を得させ、かつふえさせて、多くの国民とし、またアブラハムの祝福をあなたと子孫とに与えて、神がアブラハムに授けられたあなたの寄留の地を継がせてくださるように」(創世記2834

 陰でその祈りを聞きながら、リベカはたまらずにおいおいと泣いた。

 「神よ、わたしのやったことは間違いではなかったのですね。わたしは及ばずながら、この栄光あるアブラハムの家の嫁として日々祈り、命懸けで授かった子供たちを育てさせていただきました。おかげでヤコブも一人前の男となりました。今あなたにそのヤコブをお返しいたします。どうか、どうか……ヤコブがあなたの民の祖として恥ずかしくないように、あなたが守り導いて……」

 あとはこみあげる鳴咽(おえつ)で言葉にならなかった。どんな時にも氷のように冷静で、人に涙を見せたことのないリベカが、今は3歳の童児のように大地にくずおれて泣きに泣いていた。

 そこには民族の祖としてヤコブを手塩にかけて育てさせていただいた感謝と誇りと、ひとまずの安堵(あんど)と、そうしていつまた会えるか分からない、いとしいヤコブへの母としての離別の悲しみと祈り──そうしたさまざまな感情が入り交じっていた。

 リベカは泣きに泣いた。このひとときのために賭(か)けた自分の全生涯が、今重い熱い涙となって流れ落ち、燃え尽くすかのように……。

 その涙に、全生涯どころではない、2000年以上にも及ぶ神の慟哭(どうこく)もまた人知れず加わっていたのであった。

 「こうしてイサクはヤコブを送り出した。ヤコブはパダンアラムに向かい、アラムびとベトエルの子で、ヤコブとエサウとの母リベカの兄ラバンのもとへ行った」(創世記285)と聖書にある。

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 次回は、「石の枕」をお届けします。