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愛の勝利者ヤコブ 27

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「愛の勝利者ヤコブ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 どの聖書物語作者も解明し得なかったヤコブの生涯が、著者の豊かな聖書知識と想像力で、現代にも通じる人生の勝利パターンとしてリアルに再現されました。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『愛の勝利者ヤコブ-神の祝福と約束の成就-』より)

エサウへの祝福

 そのころ、エサウはことのほか早く、しかもお父さんが好きそうな肉の柔らかい若鹿を一発で射とめることができたので有頂天になっていた。もも肉が焼きあがるとそれを大きな皿に盛り、食べやすいように細かくほぐしたうえ、たっぷりとご自慢のたれをかけ、そのかたわらにふと思いついて摘んできた花まで添えた。いつもだとこういう細かい仕事はおっくうで、従者任せだったが、きょうばかりは苦にもならなかった。

 「へへへ、おれにだってこういう細かい神経はあるんだ。花まで飾ってあるのを見たら、おやじも驚くぜ」

 そうつぶやきながら、ふと不愉快なことを思い出した。レンズ豆のスープ1皿にパン、たったそれだけのものと引き換えに、家督権をヤコブに譲り渡してしまった例の一件のことだ。

 「なあにあんなもの、ほんの冗談。子供の遊びさ。きょうおやじから祝福を受ければ、あんなものどこかに吹っとんでしまわぁ。ざまあみろってんだ」

 そう言いながら、意気揚々とイサクのテントに入っていった。

 「早かったでしょう。きょうの獲物はとびきり上等でしたよ」

 「お前はだれかね」

 イサクははっとして上体を起こした。

 「いやだな、ぼけちゃって。エサウですよ、エサウ」

 「本当か」

 イサクは声にならぬ声をあげて絶句した。そうだったのか、やはりそうだったのか。自分にははっきり分かっていたのだ。それなのに、手が毛深いのだけを確かめると、ふと安心して、あとは何者かに引きずられるように我を忘れて祝福をしてしまった。分かっていたのに、はっきりヤコブだと分かっていたのに……。

 「実はな……」

 とイサクは、口惜しさのあまり声を震わせながら一部始終を語り始めた。エサウは血相を変えた。

 「何ですって、ヤコブの野郎が先におれに化けて来やがったんだって! それで祝福をしてしまったんですか」

 「そうだ」

 イサクは目をしばたたかせながら言った。

 「しかし、もうそうと分かったんだから、もう一度やり直せば」

 「ばか者め、そういういい加減な気持ちだからヤコブにつけ込まれるのだ。この祝福は私事ではない。わたしの言葉はそのまま神の言葉だ。神に二言はない。天地がひっくり返ってもない」

 「ちくしょう」

 エサウは皿とぶどう酒をそこに乱暴に置くと、一目散に天幕の外に向かって駆け出そうとした。

 「どこへ行こうというのだ」

 イサクは叱咤(しった)した。

 「まあそこに座りなさい。リベカから聞いたことだが、お前はレンズ豆とパンとを引き換えに、ヤコブに家督権を譲り渡したそうだな。本当か?」

 「ええ、あんまりおなかが空いていたのでつい……」

 「その時、神に誓ったのか?」

 「まあ誓いましたけれど、しかし証文も何もないのに……」

 「ばか! 証文と神に誓うのとどちらが確かか。証文は焼き捨ててしまえばそれまでだが、神様は決して忘れはなさらぬ。神は絶対なのだ。今度このようなことになったのも、お前が軽々しくそう誓ったためだ」

 「そんな……」

 「いいか、よく聴け。わたしの父アブラハムも、神様の言われることをいい加減に聞いた。祝福をするために供え物をせよといわれ、その犠牲のうちに山ばとと家ばととが入っていた。こんな小さな物くらいと簡単に思って、父は裂くべきはとを裂かずに供えた(創世記1510)。たったそれだけのことで父はその後、自分の一人息子つまりわたしじゃな、そのわたしを裂いて祭壇にささげなければならなくなったのじゃ。

 父が3日、悩みに悩んだ末、ついに決心してわたしの心臓めがけて刃を振り下ろそうとした時、天使にそれを止めさせて、『分かった。それでもうよい』と言われた。そのあとで神は何と言われたと思う?」

 「……」

 「『あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った』(創世記2212──こう言われたのじゃ。分かるか。高い崖(がけ)から飛び降りれば、どんな高貴な生まれの者でも、神が定められた法則に従って、一人の例外もなく、骨がぐちゃぐちゃに砕けて死ぬ。天使が来てそれを支えて助けるなどということは絶対にない。

 神は愛のおかただが、同時に一度定められた法則の例外を設けられることはない。一度例外を認めたら、それが新しい法則となって、天地の秩序はたちまち破壊されてしまうからじゃ。わたしは父に臨まれた神の厳しい態度から、その“恐ろしさ”を骨身にしみるほど知っておる」

 「そんなに厳しいものなのですか」

 「わたしは何度も、くどいほどそのことを教えたはずだが……。ヤコブはそれを謹んで聴き、お前はいい加減に聞いておった。その報いじゃ。今となっては、わたしにもどうすることもできぬ」

 「ちくしょう、ヤコブ(かかとをつかむという意、創世記2526)とはよくも名づけたものだ。二度までもおれを押しのけて家督権を奪うとは……」

 エサウは唇をかんだが、もはやそれ以上、ののしるだけの元気もなくなっていた。今まで忘れていた狩りの疲れが一度に吹き出た。エサウの声はいつしかすすり泣きに変わっていた。

 「わたしへの祝福は、もう何も残ってはいないのですか」

 「わたしはヤコブを兄弟全部の主と定め、穀物もぶどう酒も何もかもヤコブに与えてしまった」

 イサクは痛まし気に、見えぬ目でエサウの影を追った。つぶやくようなかすれ声がその唇からもれた。

 あなたのすみかは地の肥えた所から離れ、
 また上なる天の露から離れるであろう。
 あなたはつるぎをもって世を渡り、
 あなたの弟に仕えるであろう(創世記273940)。

 苦し気にこう告知した末、最後にこうつけ加えた。

 「しかし、あなたが勇み立つ時、首から、そのくびきを振り落すであろう」

 これがイサクに許された精いっぱいのエサウへの祝福であった。

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 次回は、「離別」をお届けします。