2023.03.27 17:00
スマホで立ち読み Vol.23
『み言に学ぶ統一原理【後編】』1
スマホで立ち読み第23弾、『み言に学ぶ統一原理【後編】』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
本書は文鮮明(ムン・ソンミョン)先生が統一原理について語られた内容を『原理講論』と同じ章構成でまとめたみ言集の後編です。
---
緒論について
第一節 蕩減復帰原理
(一)蕩減復帰
①救援摂理は復帰摂理
神様はなぜアダムとエバを造られたのでしょうか。体をまとうためであり、愛を完成するためでした。このようなみ旨の中でアダムとエバを造り、アダムとエバが完成して一つになれる愛の時代になれば、神様が臨在して完全に人類の愛の父母となり、霊的な世界においては、実体をもって臨むことができる道が開かれます。そして、実体世界においては、アダムとエバが神様の形状的実体をもった父母として君臨するようになるのです。そのように、実体を通して子女を繁殖し、それを通して霊界と連結させることがアダムとエバを造った目的でした。
そうすることによって、神様の愛を中心として人類の真(まこと)の父母となり、実体の父母として生きて霊界に行けば、父母の位置が顕現されるようになっていたのです。このようなことを望まれた神様は、創造理想であるこの基準に向かって成就させようとしたのですが、堕落によってこれが完全に壊されてしまいました。
神様は絶対者でいらっしゃるがゆえに、志したものを成就しなければならず、成し遂げようとされたみ旨を必ず成就しなければならない方でいらっしゃるがゆえに、これを再び収拾し、再生工場で修理して、本然の神様の愛を受けることができ、堕落していなかったとき以上の基準にアダムを再整備しなければならず、エバを再び造り上げなければなりません。そして、復帰された父母として連結させ、子女を取り戻さなければならない立場です。そのような立場に立っているので、救援摂理というものが始まったのです。(114-11~13、1981.5.14)
堕落とは何でしょうか。原理で言えば、無原理圏内に落ちたことを意味します。原理とは何の関係もなくなったのです。無原理圏に落ちた人間は、何の価値もない土の塊と同じです。無原理圏とは、神様が創造を始める前の状態を意味するのです。このような状態に落ちた人間に、神様が創造されたその過程を再び適用しなければ、人間を創造理想の実体として再現することはできません。(68-125、1973.7.29)
堕落した人間は体を壊したのと同じです。体が壊れたので医者が必要です。それで救援摂理です。病気で死にかかっている人が病院に行って治れば、「救われた」と言います。ですから、病気になる前に戻らなければなりません。それを端的に言えば、神様の救援摂理は復帰摂理だということです。
復帰摂理をするには、大ざっぱな計算で復帰するのではありません。ブループリント(青写真)がなければなりません。本来人間はこうでなければならない、というプログラムがなければならないのです。創造の原則がなければならないというのです。ですから、復帰摂理は再創造摂理です。(203-287、1990.6.27)
神様は、どのようにしてでも本来計画された真の愛の理想を回復されなければなりません。神様の救援摂理のために宗教を立てられ、善の版図を広げてきました。神様が送られるメシヤは、この復帰摂理を完結する総責任を担って来られる方です。したがって、メシヤは真の父母として来られなければなりません。真の父母の使命は、人類を真の愛で重生させ、真の人に回復させて真の夫婦、真の父母になるようにすることです。(271-69、1995.8.21)
私たちは、サタンから生まれた堕落した人間なので、サタンの愛から出発しました。それで、神様の愛と真の父母を中心とした愛の因縁をもつことができなかったので、真の父母の息子、娘になることができなかったというのです。結局、メシヤとは何でしょうか。真の父母です。
それでは、なぜ真の父母の愛を必要とするのですか。私が真の父母の愛を通して再び生まれなければ、生命が出発することができないからです。生命は、愛によって出発するのです。ところが、私たちは、堕落した生命から出発したので、これを否定して真の父母の愛と因縁を結ぼうとするので、真の父母の愛を求めるのです。それで、メシヤが必要なのです。(65-314、1973.3.4)
神様の目から見れば、堕落した世界は霊的死の世界です。神様は、死の世界を生命の世界へと蕩減(とうげん)復帰しようというみ旨をもっていらっしゃいます。復帰とは救援の異なる表現です。本来の理想的な状態を喪失したときには、これを復帰しなければなりません。健康な人が病気にかかれば、医者が来て、再び本来の健康な状態へと回復させてあげなければなりません。同じように、神様が意図された本来の創造理想が喪失してしまったので、神様は、この堕落した世界を原罪のない本来の状態へと復帰させなければならないのです。
これを成就するために、神様はメシヤを送られます。しかし、メシヤが来る前に、神様は、特別に選んだ人々を通してメシヤを迎える準備をさせます。これを聖書では、野生のオリーブの木の果樹園として表現しています。
野生のオリーブの木の果樹園は、堕落した領域の中で神様が以前と同じように指示し、統制できる特定の区域を象徴しています。これが準備されたのちにメシヤが来ます。メシヤは、神様の果樹園から野生のオリーブの木をすべて刈り取り、ここに命の真の枝を接ぎ木します。このようにすることによって、野生のオリーブの木はすべて真のオリーブの木になります。そのようにして人間は、本来の状態へと復帰されるのです。
今日の信仰者たちは、正に神様の果樹園にいる野生のオリーブの木です。しかし、最も篤実な信仰者であっても、神様の真の血統をまだ受けることができないでいるので、依然としてメシヤを求めなければなりません。メシヤは、人類の真の父母としてこの世に来て、本来のアダムとエバの位置に人間を復帰させてあげなければなりません。したがって、神様の真の血統と連結されるためには、メシヤであられる真の父母と一つになって真の愛を受けなければなりません。このようにすることによって、すべての人は神様の真の息子、娘となることができます。このような方法でメシヤは人類を救援してくださるのです。
メシヤは真の父母の立場から、悪い種から育った木を根こそぎ抜き取ってサタンを屈伏させなければなりません。そのようにして、メシヤは真の愛の中で人類を神様と一つになるように連結し、すべての人を神様の真の息子、娘にしなければなりません。このような方法で、地上天国が建設され、人類はついに本当の自由を享有できるようになるのです。(201-209、1990.4.9)
---
次回は、「堕落した人間の立場」をお届けします。お楽しみに!