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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(97)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
四、メシヤと霊界

▲金元弼先生

闘いの生活の中で先生に会う

 先生を見ると、先生は何も知らないように考えがちですが、そうではないのです。人を救うためには、霊の世界を明らかに知らなければなりません。霊的な勝利なくしては、現実の世界の勝利はないのです。

 先生は説教をされる前に、準備としてお祈りをさせます。そうしてお祈りしている途中に霊界に入ってしまう人がいくらでもいて、ある人などは、非常に霊に感動して、誰が何と言っても泣きやまないのです。しかし、先生が一言語ると、すぐ止まるのです。肉身をもっている人が、霊界、霊人を動かすのです。

 世の中にも、人を遣わして水をくんでこさせたということがあります。その人の体を動かしたということは、その人の肉身の主体になっている霊人体を動かしたのです。私が人を遣わしたというのは、その人の霊人体を遣わしたということです。私たちは、霊を遣わす権威があります。それは、肉身をもっているからです。霊人たちが非常に恨めしく感じるのは、肉身に対してだというのです。

 このように考えるときに、先生には本当にいろいろ不思議な面があります。それは、人から言われて感じるよりも、自分で感じ取らなければならないことです。自分で感じるためには、どのようにすればよいでしょうか。先生のみ言に従順になって、人のために、神のために自分を近づけていくとすれば、必ずそれを見つけられるのです。

 私は、最初にアメリカに行った時、一つの課題をもって行きました。それは、アメリカで生きて働くメシヤを知りたい、神を知りたいという内的な課題でした。私自身が課題を作るのです。日本に来たら、先生は韓国にいらっしゃいますけれど、先生が日本の中にどのように生きて働いていらっしゃるのか、その先生の姿を見たいのです。

 私たちがこれから研究していかなければならない問題は、自分の生活を通じて、闘いを通じて、先生に会わなければならないということです。闘いというのは、「自分のために」というのをあとにする闘いです。それをすることによって、メシヤを知り得るのです。

 先生のお話は、私たちの基準からすると、いろいろと現実離れした、非現実的、非合理的なことのように聞こえますが、やってみれば、必ずそれは当たるのです。ですから先生のみ言は、信じていけば必ず分かるようになるというのが、統一教会の兄弟たちの、一つの常識のようになっています。そのことを、私の闘いの生活の中で、事実として得られなければいけないのです。

 非現実的だということがあっても、信じてやってみなさい。やってみれば必ずそれが成り、言われて成ったものでなく、自分自身で得たものとなるのです。そのようにして得たものは、霊能者が啓示によって知ったものより、もっと確かなものです。真面目に、熱心にやることによって、たくさん起こります。熱心にやらないと、そういうことは起こりません。適当にやっていれば、なかなか得られないのです。

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 次回は、「先生を研究する」をお届けします。


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