2023.03.05 13:00
信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(95)
家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。
金元弼・著
第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
三、理想的な出会い
説教の語り方、受け方
私は、きょう、皆様との出会いの時間をもつために、一晩中、出会いの難しさを実感してまいりました。先生は説教で、説教する人の心情を語ってくださったことがあります。それは、「死刑囚が死刑場に出ていく」、そういう心情であるということでした。
先生が私たちにみ言を語ってくださる時、「先生は何もかもよく御存じであるから、私たちにみ言を語ってくださるのは、難しくも何ともないだろう」というふうに皆さんは考えるかもしれませんけれども、先生の内的な世界というものは、死刑囚が死刑場で今から処刑される、そういう深刻な心情であるということを、私たちは忘れてはいけないと思います。
先生がみ言を語られる時、その立場は、この人を生かすことができるか、あるいはよくできないことによって殺してしまうかという、ちょうど重症患者を手術するお医者さんの立場です。よく手術ができれば生かすこともできるし、手術がよくできなければ人を殺してしまう、そういう立場ですので、先生の心は深刻であるというのです。
そのように先生は、私たちに対して真剣で、深刻な心で出会ってくださるのですから、私たちも深刻な心で先生のみ言を受けなければならないと思います。
皆さんが人の前で語る時に、メンバーがあなた以上の心をもってみ言を受けようとするならば、皆さんはどうしますか。それを考えてみれば分かります。説教してくれるあなたの言うことをよく聞くために、真心を込めてお祈りする、あるいは徹夜祈祷をしながら準備する人がいるとしたならば、皆さんは、どれほど真剣になるでしょうか。いい加減なことは話せません。
話す人以上に、本当に心を込めて徹夜祈祷をして、み言を聞く人がいるとするならば、神の恵みは、話をする人のものになってから聞く人のものになるのではなく、直接、聞く人のものになるのです。話をする人は、恵みを取られるというのです。ですから、そういうことがないように、語る人は本当に真剣に心を込めなければいけないし、そしてまた受ける人も心を込めなければなりません。そうすると神の恵みは、語る人にもとどまるし、聞く人にもとどまるのです。
ところが語る人も聞く人も、どちらも真剣でないと、せっかくの神の恵みは、語る人のものにもならないし、聞く人のものにもならないのです。では、この恵みは、どこに行くのでしょうか。それはサタンのものになってしまうのです。恵みがサタンに取られてしまうというのです。神が人間にダイヤモンドを与えたのに、誰もその価値が分からないとするならば、それはサタンがもっていくというのです。サタンは価値が分かるからです。
つまり、私たちがたくさんの恵みを受けたとしても、その恵みを自分のものにできないならば、その恵みは全部奪われてしまうというのです。ですから私たちは、これから良い出会いをしていくようにしましょう。
(1981年9月27日、ベルベディア)
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次回は、「自分自身で悟る」をお届けします。