2023.03.03 22:00
【テキスト版】
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第127回 共産主義を体系化したマルクスの動機は何だったのか?
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回は、「共産主義を体系化したマルクスの動機は何だったのでしょうか?」という質問に対してお答えいたします。
共産主義思想を生み出したカール・マルクスの生涯を知ることは、彼が作った理論を理解する上で非常に重要です。
生い立ちや境遇が思想に大きな影響を与えるからです。
マルクスは自分の考えを膨大なメモとして残し、それをまとめながら論文として発表していきました。しかし、彼はそれを最後まで完成させることなく64歳で他界しました。
その後、彼のメモをもとに論文を完成させたのは、彼の盟友のフリードリヒ・エンゲルスでした。
共産主義思想は、マルクスとエンゲルスによって体系立てられたのです。
マルクスは不遇な境遇で育ち、多くの人を怨みました。やがて社会を怨み、神をも怨むようになりました。
共産主義思想の根底に込められた思いとは、強烈な怨みなのです。
マルクスは現在のドイツに当たるプロイセン王国で生まれました。彼の両親はユダヤ教徒で、ラビという宗教指導者の家系です。
ヨーロッパでは長い間、ユダヤ教徒であるというだけで財産を没収されて、国外に追放される、処刑されるということが珍しくありませんでした。
当時、ユダヤ教徒に対して、キリスト教に改宗しなければ公職から追放されるという命令が下されました。両親は大変苦悩した結果、改宗することにしました。
マルクスはユダヤ人からは裏切り者扱いをされ、キリスト教徒からは相変わらずユダヤ人として軽蔑される複雑な境遇の中で過ごしました。そんなマルクスは、孤独感、不信感、反抗心を持つようになります。
マルクスは17歳の時、高校の卒業文集に「イエスだけが我々を救うことができる」という信仰告白を書くなど、信仰を保っていました。しかし、後に信仰を完全に捨ててしまいます。
また、4歳年上の女性との婚約を巡り、父と激しく対立しました。こうして彼は、それまでの信仰や家族を捨て、新しい人生を歩み始めます。
19歳の時、「絶望者の祈り」という詩を書きました。
その詩は、要約すると、次のような内容です。
「神が俺に与えた人生は、呪われた運命でしかなかった。
楽しいこと、うれしいことは何もなかった。
温かい家族、心の通じる友人、そして恋人、全てが取り上げられた。
俺は神が許せない。
神の世界はみんな、みんな、なくしてやる。
みんな、みんな破壊してやる。
しかしその願いが実現しても、俺はまだ満足しない。
ある思いが絶対に消えずに残る。
それは神への復讐だ!
神への復讐を果たすまで、俺は絶対に諦めない。
俺は自分に向かって誓う。
堂々と神に復讐する」
こうしてマルクスは、自らの人生を「神への復讐」に懸けると決心しました。
共産主義思想は神の存在を否定する思想ですが、彼は決して神は存在しないとは思っていなかったのです。むしろ生涯を懸けて「神への復讐」をしたいと思うほど、神をリアルに信じていたのです。
そして彼の思想が広がったことで、神を否定する人が増えていったのです。
共産主義思想には、階級闘争の発想から「理想的な社会をいかに実現するか」という建設的な理論は、ほぼありません。「なぜ暴力が必要なのか」「なぜ暴力が許されるのか」という理屈ばかりなのです。
共産主義者たちは、反対ばかりして代案を示さないということがよくあります。それは、もともと共産主義思想がそういう理論だからです。
また、宗教者の行動を「マインドコントロールされている」と捉える共産主義者の発言には、宗教に対する無知と神への否定があります。
マルクスが持っていた神への不信感と復讐心がその根底にあるために、宗教に対する価値判断の尺度が全く違うからです。
今回は、共産主義思想を生み出したマルクスの生涯の根底にある動機について紹介しました。