2018.07.15 22:00
愛と人生の道しるべ 7
異性間の情は引力で、愛とは別のもの
アプリで読む光言社書籍シリーズ第1弾、『若者に贈る~愛と人生の道しるべ』は毎週日曜日にお届けしています。
酒井 正樹・著
第2章 愛は与えて無限に溢れる
異性間の情は引力で、愛とは別のもの
この聖句(新約聖書コリント人への第一の手紙第13章4~8節)に示されている愛は、親の愛に通じるものであり、男女間に感じるものとは違っています。
男性と女性は、磁石のN極とS極のように、それだけで引き合う性質を持っています。男性にとって一番気になる存在は女性であり、女性にとっても一番気になる存在が男性です。心が引き寄せられ、情が流れ出してしまうのです。
これは、時と場合と相手をわきまえながらコントロールしなければならないものです。結婚していて妻や子供がいる男性が、若い女性を好きになって付き合っていいものではありません。
聖書の中の「愛」が「大切にすること」という意味があることを考えてみるなら、これは愛とは根本的に違うものと言えるでしょう。
男女間に流れる引力は、初めは希望や喜びを与えますが、やがて不安と嫉妬に変わり、最後には絶望と深い孤独感に至ることが多いのです。時には、自殺や不倫、家出、離婚といった問題にもなりかねません。古今東西の文学がこの問題に取り組んできましたが、根本的な解答を与えることができませんでした。
この男女間に流れる引力のことを、愛と区別して、「熱情」と呼ぶ人もいます。
この熱情は、かつてドナウ川を航行する船人たちが岩山にたたずむ美しい乙女に見とれている間に、急流にのみ込まれて沈んでしまったというローレライの伝説のように、多くの青年男女の人生を狂わせ、破滅に追い込む原因となっています。
非常に魅力的であり、他のすべてのことが価値のないものに思え、相手とその熱情を手に入れることしか考えられなくなってしまいます。まさに熱病そのもので、相手のことをよく知っている第三者から見るなら、なぜそんなに恋い焦がれているのか理解できないということになります。
愛しているのは、自分の心の中にある理想の異性像であり、その熱情の中にあって興奮状態にある自分を喜んでいるというのが、事実ではないでしょうか。(続く)
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次回は、「愛しているのは理想の異性像」をお届けします。