2023.02.23 22:00
うまくいく夫婦仲の法則 3
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「うまくいく夫婦仲の法則」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
目指すは「夫婦仲良し、円満一家、どんな嵐もどんとこい」! 輝く夫婦、幸せな家庭を築くための秘訣(ひけつ)をご紹介します。
松本 雄司・著
第一章 家族についてもう一度考え直そう
3 自然に家族になれる時代は終わった
藤原智美氏は、著書『家族を「する」家』(プレジデント社)の中で、その点を鋭く指摘しています。「一緒に住んでいれば自然に家族になれる時代は終わった」というのです。
私たちはこういうふうに思い込んでいないでしょうか? 結婚して同じ屋根の下に住んでいれば自然に家族になれる、と。ところがそのように思い込んでいる家族は、時間の問題で崩壊するだろうと、藤原氏は言い切るのです。それが決して大げさではない、本当にそうなっているということを、私自身も様々な経験を通じて本当に実感します。それが、「子供の問題」に少なからず影響を与えています。
では「家族になる」というのはどういうことなのでしょうか? それは「夫婦」として、「親子」として、あるいは「兄弟姉妹」としての「情的な関係が築かれる」ということです。つまり、「家族の絆」が結ばれるということです。籍が入っていれば法律的には家族なのですが、「絆」が出来上がっていなければ、本当に嬉しい楽しい家族にはなれないのです。
今そういう点ではとても難しい時代です。では、なぜ家族の絆が結べなくなったのか。やはりそれなりの原因があるはずです。
その点について藤原氏は、仕事場と食事の変化を指摘していますが、この点においても全く同感です。戦後、特にこの40年間で、ものすごい勢いで日本の社会の様子が変わっているのです。
4 仕事場と住居の分離
まず第一に、かつては家の中に「仕事場」がありました。戦前もそうだし、戦後も昭和30年代ぐらいまでは、まだ大家族的な雰囲気も残っていました。「仕事場と家が一緒」という家庭が多かったと思うのです。ところが高度成長時代以降、これが分離され、「仕事場」と「住宅」がどんどん分かれていったのです。
「母さんは夜なべをして、手袋編んでくれた。……おとうは土間で藁(わら)打ち仕事、おまえも頑張れよ〜」。懐かしいこの歌の雰囲気は、つい30〜40年前まで、そのままの姿があったのです。東北や北陸では冬が長い。農家ではどこの家でも、広い土間がある。上がると囲炉裏のある居間がある。そこで、ご飯も食べるし、団欒(だんらん)もするし、何でもする部屋です。奥のほうに座敷とか寝室がある。そしてご飯が終わると、お父さんが土間に下りて藁打ち仕事とか、現金収入の足しにするための仕事をするのです。そのうちおじいちゃん、おばあちゃんも手伝い、片づけの終わったお母さんも手伝い、子供たちも手伝って、家族みんなで仕事をするのです。やがて春になれば雪が解けて畑仕事ができるようになる。お父さん、お母さんが畑で仕事をする。学校から帰ってきた子供もカバンをポーンと家において、畑に行って一緒に手伝う。そういう姿が以前はごく普通だったのです。
私は、九州で育ちましたが、親戚には農家がありましたので、稲刈りや田植えも手伝ったことがあります。農家では、夏になると、大分特産の七島葦(しっとうい/畳表になるイグサ)を昼間刈り入れ、夜は裸電球を灯して広い庭先で二つに割いて、翌朝、浜辺などに干します。これは、親戚も手伝う一家総出の仕事でした。
商店をやっている家もそうだったのです。以前は、今のような大型スーパーや郊外の量販店中心ではなく、活気のある商店街中心でした。商店はたいがい家の前半分が店、後半分は住宅でした。お父さんの仕事を母親も手伝い、子供も家に帰ったら店番や配達、集金を手伝うのです。私の家も商店をやっていましたから、小学校5、6年生くらいから年末になると集金などを手伝っていました。2キロでも3キロでも自転車をこいで、「こんにちは、松本洋服店ですが、月賦をお願いしまーす」と大きな声で言います。奥から出てくるお客さんは、農家や学校の先生や商業人が多かったですが、「いやー、あんたが来たのか。じゃあ、あげんわけにはいかんね」と言って、千円札を握らせてくれました。いつだったか母親に「あんたは集金がうまかったよ」と言われたものです。毎日、夜遅くまで働いている両親の姿を見ていたので、子供心に、「少しでも助けになりたい」という気持ちがあったように思います。
また、以前は小さな町工場も多かったです。そこでもやはり、工場の続きに住まいがあって仕事場と住居は一体でした。
その時代には、子供が家業を手伝っていました。少なくとも両親が夜遅くまで働く姿を見て育ったのです。このようにして、一緒に働き、手伝いをし、あるいは、親の働く後ろ姿を見て育つことによって、言葉では言えない家族の「心の絆」ができていったように思います。
ところが高度成長時代以降、この30年くらいのうちに、「マイホームを持ちましょう」ということで、みんな住宅を別に持つようになりました。農家では子供に農作業を手伝わせる家は少なくなり、商売をやっている人も、仕事は店、住居は別。町工場の人も、近くの団地、マンションに住む。サラリーマンは郊外のニュータウンに念願の家を持つ。こういうふうにして仕事場と住宅が全く別になりました。
そうすると、かつて親の仕事を手伝うことによって培われた「家族の絆」というものが、生まれようがない。また、妻や子供が父親の汗を流している姿を見ることができないのです。
かくして、「仕事」というものを通して培われてきた「家族の絆」を結ぶのは難しい時代になりました。
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次回は、「一家団欒の消滅」をお届けします。