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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(93)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
三、理想的な出会い

▲金元弼先生

世界的な出会い

 私たちは、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、そして神を通じて、自分の相対者やメンバー、あるいは子供やリーダーに出会うことができるというのです。私たちが個人的な立場で相対者に対したり、メンバーに会ったりしようとするならば、この出会いは個人的な出会いであり、また家庭的立場で会えば家庭的な出会いであり、氏族的なものを愛したのちの出会いであれば、これは氏族的な出会いになるのです。出会いがこのようになるのです。

 ですから私たちは、出会う時には世界的な出会いでなければいけないのです。私たちが相手を愛するにしても、世界を愛する世界的な愛と、個人的な愛、国家的な愛とでは、これは違うのです。

 私たちが子供を愛するにしても、世界を愛したのちに子供を愛するとするならば、その子供に対する愛は、親個人の子供に対する愛ではなく、世界の愛であるということになるのです。親だけの愛ではなくて、世界の愛を与えることになるのです。

 子供が親から愛されるにしても、親の愛だけでは限界があるのです。また夫婦の愛にしても、夫婦のお互いの愛だけでは限界があるというのです。ですから子供が親から愛される時、親の愛に世界の愛をプラスして受けるとするならば、これは親の子供に対する理想的な愛ということになります。

 夫婦の間にしても、その夫婦の愛だけでは満足できません。それにプラスして、世界の愛を与えることができるならば、それが夫婦の間においての理想的な愛だというのです。

 例を挙げましょう。子供の誕生日があるとしましょう。親は子供を愛しています。ですから親は、子供に誕生日を祝福するための贈り物を与えるでしょう。

 ところで、もし親が自分の子供を愛するよりも、まず世界の人々を愛してきたとするならば、この人によって愛された世界の人々が、この人の子供の誕生日に贈り物をあげるでしょう。親のプレゼントばかりでなく、世界の人々が贈り物をその子供にあげるだろうというのです。

 子供として、親からだけの贈り物を受けることが一番喜ばしいでしょうか、世界の人々からの贈り物をも共に受けることが一番喜ばしいでしょうか。それが、親が子供に対する真の愛、理想の愛、理想の出会いだというのです。

 夫婦の間も同じです。奥さんの誕生日には夫と子供が贈り物をあげるでしょう。ところが夫婦が世界の人を愛してきたとするならば、その誕生日には、愛された世界の人が奥さんのために贈り物をあげるでしょう。

 先生のことを考えてみても、そうです。先生は夫人を愛するにしても、お子様に対する出会いにしても、世界を愛する道を通していかれるために、お子様の誕生日や夫人の誕生日には、先生からの贈り物ばかりでなく、世界の人々から贈り物が届けられます。また反対に、病気でもされたりすると、世界の人々が助けようとお祈りをするのです。ですから私たちの出会いというものは、このように世界の道を通して出会わなくてはいけないというのです。

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 次回は、「世界の人々を愛してから出会う」をお届けします。


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