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愛の勝利者ヤコブ 21

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「愛の勝利者ヤコブ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 どの聖書物語作者も解明し得なかったヤコブの生涯が、著者の豊かな聖書知識と想像力で、現代にも通じる人生の勝利パターンとしてリアルに再現されました。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『愛の勝利者ヤコブ-神の祝福と約束の成就-』より)

繰り返される謎の行事

 狩りから帰ってきた腹ぺこのエサウが、ヤコブにレンズ豆のスープで家督権を譲る約束をした時、イサク一行はアブラハムたちが住んでいたヘブロンの南方に横たわる放牧地帯、ネゲブの天幕に住んでいた。そこにまた、アブラハムの時にあったと同じような飢饉(ききん)が襲ってきた。

 そこで、かつてアブラハムとしばしば一悶着(もんちゃく)を起こしたのち、和平協定を結んだペリシテ人のアビメレク王が住んでいるゲラルまで移動した。イサクはさらに肥沃(ひよく)なエジプトにまで行こうとした。

 その時、神がイサクの前に現れ、

 「エジプトへ下ってはならない。わたしがあなたに示す地にとどまりなさい」

 と命じられる。

 「あなたがこの地にとどまるなら、わたしはあなたと共にいて、あなたを祝福し、これらの国をことごとくあなたと、あなたの子孫とに与え、わたしがあなたの父アブラハムに誓った誓いを果そう」(創世記2623)。

 そこでイサクはゲラルにとどまることにした。はるばるその老僕が祖父テラとその親族が住んでいるハランの町はずれまで嫁探しに行って連れ帰ってきたリベカは、サラと同じ血のつながった娘だけにやはり絶世の美女であった。そのためその地の住民が自分を殺して妻を奪おうとするかもしれないと恐れて、イサクは彼女を妹だと言うことにした。父アブラハムと期せずして同じことをしたのである。

 ちなみにアブラハムはカナンの地にまで来て飢饉に遭い、エジプトに一時下り、そこで同様の心配から、やはり人並みはずれて美しかった妻サラを妹だと言って、難を逃れようとした。そのためエジプト王パロにサラを自分の妃の一人に迎えようという野望を起こさせ、アブラハムに多くの羊、牛、ろば、奴隷、らくだなどを贈ってサラを宮中に招いた。

 神はそのパロの行為を怒り、パロ一族をひどい疫病にかからせた。そこでパロは恐れて、サラとその持ち物一切合財を持たせてアブラハムのもとに送り返し、その地をすみやかに去ってほしいと頼んだことがある(創世記121120)。このことによって結果的にはサラは全くの無傷であったばかりでなく、アブラハムは労せずして多くの財宝を得たのであった。

 その後アブラハムは、甥ロトが住むようになったソドムほか五つの町を王の王として支配していた強大な権力者ケダラオメル大王を、ロト一族が襲われて捕らわれの身になった時、家の子労党300余名を引きつれて夜襲した。さんざんに撃ち負かして武名をとどろかせ、アブラハムはサレム(のちのエルサレム)の王であり大祭司であったメルキゼデクの祝福を受けた。そして、天から声がかかり、アブラハムの子孫を星の数のように生み殖やさせようとの神の祝福があり、その後、その祝福の条件として例の「象徴献祭」(創世記15911)の行事があった。この神の摂理の手順を想起されたい。

 この象徴献祭はアブラハムの誠意に欠けた不注意(はとを裂かないで供えた)によって不首尾に終わった。そののちアブラハムが、イサクに神がとどまるようにと命じられた正にその地ゲラルで、アビメレク王に対して、エジプト王に対した時と同じ憂慮を抱き、サラを自分の妹だと言ったため、王はサラを宮中に召し入れた。

 すると神が夢の中でアビメレク王に臨まれ、「サラは夫のある身である。もし彼女に手を触れたら、お前は死ぬことになる」と警告される。そこでアビメレク王は恐れ、やはりエジプト王がしたのと同じように、アブラハムにサラを羊、牛、奴隸などをつけて丁重に返し、あなたの好きな所に住んでくださいと申し出る(創世記20114参照)。

 そのあとで生まず女であったサラが、高齢で月のものがすでに止まっていたにもかかわらず、奇跡的に一子イサクを授けられた。そのイサクを献祭としてささげよという、先の象徴献祭でのアブラハムの不誠実を償うための行事を行う命令が下され、アブラハムとイサクの命懸けの信仰によってそれが無事に果たされた。

 それから再び、このイサクの子孫を星のように、砂のように生み殖やさせるという天の祝福が与えられるのである(創世記221518)。

 この時神は、アブラハムが初めて、天の選民の祖とするに値する真剣さとひたすらな神への忠誠心を持つようになったことを認められて、「あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」(創世記2212)と言われたことを記憶しておられる読者もあろう。

 さて話をもとに戻すが、イサクは、アブラハムがいずれも神への献祭を命じられる前にしたことと、このように全く同じことをしたわけだ。しかもその後も同様の経過をたどるようになった。

 イサクがリベカを自分の妹だと言っているのを耳にしたあと、アビメレク王は窓から外を眺めていて、ふとイサクがリベカと戯れているのを目撃した。その様子はどう見ても妹に対しての行為ではなく、妻にでなければしないようなことをしている。

 アビメレク王はその前にも、アブラハムがサラを妹だと言ったのも真に受けて宮中に召し入れ、ひどい災難に遭ってこりごりしている。さっそくイサクを王宮に呼んで詰問した。

 「あなたはリベカを妹だと言っているが、わたしの見たところでは妻だとしか思えないが……」

 「正直のところを申しますと、そのとおりでございます。実は……」

 「いやその理由は言わんでもわたしには分かっている。あなたが生まれる前のことだから知るまいが、あなたのお父さんからも同じことをされて、神様にひどい目に遭わされた。あんたたちは親子そろいもそろって、一体わたしにどういう恨みがあるというのかね。わざとわなを仕掛けて罪に陥れ、わたしの苦しむのを見て気晴らしでもしようという了見か。それは悪趣味というものではないか」

 「そんなことがあったのですか。かさねがさね申し訳ございません。もちろんあなた様のように気高い大王様がそんなでたらめをなさるとはゆめ思いはいたしませんが、わたしも異国に生まれていろいろ苦労をしておりますので、もしや……いやどうか気を悪くなさらないでください。もしかしてわたしがリベカを妻だと正直に言ったら、あなたの国のだれかがわたしを殺しやしないかと、いや全くつまらない心配をいたしまして」

 「いや、その心配はないとは言えぬな。わたしにしてからが、ついふらふらとそんな気にならせられたからの。全くうらやましい限りじゃ、親子してこんなにも美しいご夫人をお持ちとは。分かり申した。おい宰相よ、すぐ布告を出しておけ。このご夫人に指一本でも触れる者があったら、その場で打ち首にすると。

 さあ旅のおかた、これでご安心召されたであろう。どうぞごゆるりとご滞在ください。その代わりといってはなんだが、よろしければ神様にどうかわたしたちにもお恵みがあるようにと祈っていただけませぬかな」

 そこでイサクはそのゲラルの地に種をまき、その年に百倍もの収穫を得、神の祝福によって非常に富み栄えるようになった(創世記261213)と、聖書には記されている。

 二度ならず三度までも全く同じことが繰り返された。これが偶然といえるだろうか。しかも細かい点では神がなさったことに差異があるが(例えばアビメレクはパロよりも心が清く、誠実で心の暖かい人物であったので、その心に応じて、ゆきとどいた心遣いを示している)、しかし本質的な点については、数学的な正確さできちんと全く同じ手順を踏んでおられる。

 このことも、やはり聖書が文章化されてからでも2500年(それ以前の口伝えで語り伝えられていた時代をも含めればおそらく4000年にもなろう)もの長きにわたり、何千億という人々の前に公然とさらけ出されていた伝承であるにもかかわらず、このことに気づき、指摘した神学者はただの一人もいない。

 このことの重要な秘義を解き明かし、神の愛と英知のあまりもの深さを知って、その謎解きに触れた人々の心を驚異と感動に胸を打ち震えさせる書、これも『原理講論』をおいてほかに類例がないのである。

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 次回は、「井戸の争い①」をお届けします。