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続・日本統一運動史 52
宝塚研修所の聖別式と聖地決定

 真の父母様が「母の国」である日本に向けて語られたみ言や、教会員たちの涙の証しなど、「続・日本統一運動史」では、1965年以降の「知らなかった」エピソードをお届けします!
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歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第四章 真の御父母様との一体化時代
五、真の御父母様の御家庭、初御来日(1967. 6. 128. 10

(22)宝塚研修所の聖別式と聖地決定(1967. 8. 78
 1967年87日、真の御父様は宝塚研修所の聖別式と聖地決定のため、関西に向かわれました。

 「あたりは雄大な自然につつまれ、地形的にみても、非常に意味があるということである。先生も大変にお喜びになり、これからの生命の誕生のため非常に大きな期待を寄せられた。なお、この修練所は、昔、旅館であったため、台所・風呂場・トイレなどの設備も万全なものである。まだ電気が来ていないため、先生はローソクの光でその夜遅くまで和動され、そのまま修練所に泊まられた。翌8日、先生はことのほか早く起きて聖地決定をされた。」(『成約新聞』第135号より)

▲宝塚前研修所

▲聖地決定の準備(1967.8.8

▲決定された聖地にて(1967.8.8

(23)最後の御言(1967. 8. 9
御言『お兄さんは父の分身、お姉さんは母の分身』(8. 9

▲日本のために祈祷される真の父母様

 「…兄さんはお父さんの身代わりであり、姉さんはお母さんの身代わりである。そのような心持ちをいかに持つかということが問題である。…

 何事かがあったら、自分を中心として批判し始めがちなのが兄弟である。…この限界をいかにして越えるか、それが日本の地をたつにおいて心配するところである。教会の指導者に対して親の分身として立っている感じをいかにして持つか。教会の責任者を見た場合、壮年から見た場合は自分の子供ぐらいに見えるのである。社会的背後関係からあるいは学歴関係から見た場合、自分より優れない。自分に教えられるような立場にある。その前に立って一から十まで批判しがちな立場が、一般の子女の立場である。…先生はそれを心配している。…

 日本の教会において…父母…のような心情基準を持つような人にいかになってくれるか、先生が一番心配していることです」(抜粋)

24)真の御父母様、帰国(1967. 8. 10
 8月10日午前920分、約2か月滞在された真の御父母様、子女様、劉孝元協会長、崔元福先生、文成均先生が帰国されました。

 「昨夜も本部の兄弟に先生は限りない愛の言葉を残された。これからの日本の兄弟に押し寄せて来るであろう苦難を絶えず心配されながら、兄弟が本当に心を一つにして御旨に歩むことを強く望まれた。

 2か月余は長いようで短かった。しばらく待ったのち、飛行機に向かうバスと見送りデッキの間で、結ばれぬ手と手が激しく振られた。孝進様は力いっぱい、御母様に抱きつきながら、崔先生はV字の勝利のサインを、協会長は動き出すバスから乗り出すように両手を大きく交互に、先生はどっしりと座って微笑しながら、小さく…。定刻過ぎ、会長の声を吸い取るかのように爆音を響かせながら西の空へ見えなくなった。」(『成約週報』第136号より)

25)崔容碩先生、民団で講演(1967. 8. 15
 1967年815日、崔容碩先生が、民団において講演をされました。

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 次回は、「久保木修己会長80日間全国巡回原理修練会」をお届けします。

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